華鬼灯 -ハナホオズキ-

── 第壱章 ──
其ノ捌 ── 華ハ時ノ終焉ヲ知ラズ (8/11)

「……ははっ、〈|開華《かいか》〉しても所詮その程度かよ」

 明らかに|子元《しげん》に向けたものであるその言葉。
 発したのは、今まで傍観していたあの杭なる男──|彦靖《げんせい》だった。
 声のした方へと視線を移せば、歪んだ笑みを浮かべる彼の顔が、子元の視界に入る。
 言い返してやろうと口を開きかけた子元だったが、それよりも早く反応を見せた者がいた。

「ならば、|殺《や》れ」

 低く重みのある|仲達《ちゅうたつ》の声。
 足を止め、これまでにない程の鋭い目つきで彦靖を睨んでいる彼は、本気だった。

「所詮あの程度。そうほざく口があるならば、今すぐここであいつを|殺《や》って見せろ」
「ち、ちょっと仲達!」
「|神流《かんな》。これは|俺たち《丶丶丶》の問題だ、部外者は黙ってろ」

 止めに入ろうとした神流だったが、今の仲達の言葉を聞いて、意図を理解したらしい。
 そして彼の意図を理解したのは、神流だけではなかった。

「……受けて立つ」

 そう言ったのは他でもない子元で。
 彼もまた、半ば呼吸が荒いものの、真っ直ぐな視線で男を見ていた。
 子元の側にいる|薙瑠《ちる》も、仲達の言葉の意図を理解していたようで。
 心配そうに瞳が揺れているものの、受けて立つと言った子元を、止めることはしなかった。

「そういうことでしたら、遠慮なく殺りますよ」

 彦靖は嘲笑したまま前に進み出て、一定の距離を保ちながら子元と対面する。
 その右手には、既に刀を持っている。
 臨戦態勢に入った彼の様子を見て、薙瑠が「頑張ってください」と一言を残して子元から離れた。
 子元もそれに小さく頷いて、その場に立ち上がる。
 まだ僅かに息切れをしているものの、先程よりは安定してきていた。
 そして彦靖を見据え、右手のみに刀を出現させる。

 そよ風が吹き、無数の桜の|花弁《はなびら》を散らす。
 その風が徐々に弱まり。
 完全に収まった、刹那のこと。

 二人の刀が交錯した。
 彦靖は鬼の姿に|変化《へんげ》しているが、連戦による疲れからか、子元は変化していない。
 そんな状況で、鬼としての経験が上の彦靖を相手にしているのでは、子元の勝率は低いだろう。

 予測通り、子元と彦靖、二人の戦闘は呆気なく終わる。
 しかし──その結果は誰もが予測していなかったに違いない。
 ただ一人、仲達を除いて。

 刃が交錯した直後、鍔迫り合いになるが、両者ともに後方に飛び退く。
 その直後、再度地を蹴ったのは子元だけだった。

 ──否。

 彦靖の行動が|遅かった《丶丶丶丶》のだ。

 体勢を整え、次の行動に移すその動き。
 それに差が出たのである。
 子元はその隙を逃さず、一瞬にして間合いを詰め、驚いたように目を見開いている彦靖に向かって、左足を力強く踏み込む。
 そして右手に持つ刀で、斜め下から切り上げ|ようとした《丶丶丶丶丶》。
 それを避けようと、彦靖は身体を横に傾ける。

 その瞬間にできた、僅かな隙。

 子元はそれを、見逃さなかった。

 子元は刀を持つ右腕を動かすことなく、代わりに右足で彦靖の腹部を思い切り蹴飛ばした。
 予想外の体術に、彦靖は対応できるはずもなく。
 みぞおちに直撃し、彼の身体は後方に吹き飛ばされる。
 子元は透かさず間合いを詰め、仰向けに倒れ込んでいる彦靖の首元に、刀の切っ先を突きつけた。

 空間に静寂が落ち、柔らかな風が再び桜の|花弁《はなびら》を運び始める。
 誰の目から見ても、勝敗は明らかだった。

 もちろん、神流も薙瑠も、その他の者も。
 仲達を除く誰もが、そんなに簡単に敗れるとは思っていなかっただろう。
 鬼に変化している──彦靖が。
 その結果に一番驚いていたのは、子元自身だった。
 同時に彦靖自身も、自分に何が起こっているのかを、いまいち理解できていないようだった。
 ──いや、信じたくなかったのだろう。
 あれだけ馬鹿にしていた相手に、変化しても敵わなかったという、その事実を。

 呆然としている彦靖のもとへ、仲達はゆっくりと近付いてゆく。
 そして真横で立ち止まると、苛立ちを含ませたような紅い瞳を、爛々とさせながら彼を見下ろした。

「口程にもねぇな」
「……」

 黙ったままの彦靖に、仲達は低く冷たい声で言葉を続けていく。

「貴様は鬼の力に頼りきり、己の実力を過信していた。
 一方で役立たずの〈|咲《さ》き|損《ぞこ》ない〉は、力が扱えないからこそ、|己に在る能力《丶丶丶丶丶丶》を磨いた。
 その結果がこれだ。
 この状況を以てしても、〈咲き損ない〉は無駄だったと、馬鹿にできるか?」

 彦靖を見下ろしながら、淡々と語る仲達の瞳は、揺らぐことなく真っ直ぐと彦靖を捉えている。

 努力は裏切らない。
 〈咲き損ない〉になったことは、無駄じゃない。

 そのことを堂々と言ってのけた仲達。
 そんな父を、子元は初めて──いや、久しぶりに。

 格好いいと、感じていた。

「は……はは……」

 突如、彦靖は左の腕で目元を隠しながら、不気味に笑う。

「はははははっ!! っくそ!!」

 最後は歯を食いしばりながら、右手を力強く地に叩きつけた。
 子元は彦靖に向けていた刀を降ろし、内にしまう。
 そして再び、彦靖を見下ろす父の横顔を見る。

 この人は、自分の勝利を確信していた。
 それ故に、彦靖に迷いなく殺れと命じたのではないか。

 都合のいい解釈かもしれない。
 でも、今は。
 今は何故か、その解釈が当たっている気がすると、子元は思っていた。

 突如、紅き瞳の鋭い視線が子元を容赦なく射抜く。
 目があった瞬間、子元は思わず息を呑んだ。
 しかし、その視線は彦靖に向けられたものとは違い。
 ただ鋭いだけの、落ち着いた視線だった。

「子元」
「は、はい」

 急に名を呼ばれ、子元は慌てて拱手する。
 しかし、名を呼ぶ仲達の声音は、先程までとは一転、どこか優しさを含んでおり。
 次いで彼の口から出た言葉は、怒りの言葉などではなく──

「……良くやった」

 恐らくその場にいた全員が、その一言に驚きを感じたに違いない。
 何故なら、仲達は人を褒めるなどという事を殆どしない人だったからだ。
 褒められた子元も驚きを隠せず、直ぐには言葉が出てこないようで。
 僅かに目を見開きながら、その場で固まっている。

 そんな子元の様子に、仲達は僅かに眉根を寄せた。
 しかし、その視線はすぐに、離れたところで傍観していた薙瑠へと向けられる。

「戻せ」

 たった一言ではあったが、彼女はその意味を理解したらしい。
 薙瑠はその場で微笑みながら、拱手して応えた。

「ち……父上」

 言葉を失っていた子元は、半ば緊張気味な面持ちで父を呼ぶ。
 その声に、仲達の視線は子元へと移った。
 再び目が合えば、子元の顔は更に強張る。
 しかし、今までのように、もう目を逸らしたりなどはしなかった。

 いつぶりだろうか。
 この人のことを「父上」と呼び。
 礼を伝えるなんてことをするのは。

 そんなことを思いながら、子元は素直な気持ちを口にした。
 父の瞳を見ながら、小さな声で。

「……ありがとう……ございます」

 思わぬ言葉に、仲達の瞳が、一瞬だけ見開かれる。
 何も言わずに、じっと子元を見詰めたあと。
 先に目をそらしたのは仲達だった。
 そして彼も、小さな声で。

「……ああ」

 と、頷いた。
 たったそれだけの返答ではあったが。
 何だか昔に戻ったようで。
 それがくすぐったくて。
 子元は〈咲き損ない〉になって以来、初めて父の前で微笑んだ。

 そんな二人の様子を、微笑ましく眺めていた薙瑠と神流。

「仲達ってほんと親馬鹿よね」
「ふふっ、そうですね。
 仲直りできたようで安心しました」
「全てはあなたのお陰よ。
 ありがとう、薙瑠ちゃん」
「いえ、お役に立てたなら何よりです」

 微笑みながら、そんな会話を交わしていた。
 そよ風とともに、神流の白い髪と、薙瑠の淡紅色の髪が柔らかになびく。
 それがとても、心地の良い風で。
 神流は名残惜しそうに空を見上げた。

「この場所とも、また暫くお別れね」
「言ってくだされば、いつでもここに来れますよ?」
「いいの、力は無駄に使っちゃ駄目よ。
 ……減るもんじゃないけど」
「ふふっ、そうですね。
 では、空間を戻します」
「そうね、よろしく」

 薙瑠は小さく頷いたあと、手にしていた刀を再度抜刀し、その切っ先を地にあてた。
 そして、一拍の間を置いて。

「〈|空間変化《くうかんへんげ》・|逍遙《しょうよう》〉──|散《さん》!」

 その瞬間、視界を覆いつくすほどの桜の|花弁《はなびら》が舞い上がり。
 視界が開けたときには、既にもとの広間に変わっていた。

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 |時間《セカイ》 |者《ハ》 |向 終焉《シュウエンニ ムカウ》。
 |如《ソレヲ》 |其 何《イカンセン》。 |何《ナンゾ》 |生 必死 乎《ヒッシニ イキランヤ》。
 |若《モシ》 |迎《シュウエンヲ》 |終焉《ムカフレバ》、|築 物《キズキタル モノ》 |全《スベテ》 |崩墜《ホウツイ スル》 |也《ナリ》。

【|時間《せかい》は終焉に向かっている。
 それは、どうする事もできない定めであるにも関わらず。
 何故そんなに必死に生きているのか?
 終焉を迎えてしまえば、この時間に築き上げたものは全て、残らず壊れてしまうのに──】

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