── 第弐章 ──
其ノ壱 ── 陰陽ノ神使ハ影ニテ動ク (1/11)
|其《ソノ》 昔《ムカシ》、|女一人《オンナ ヒトリ》 |在《アリ》。 |其《ソノ》 |女《オンナ》 |人間《ニンゲン》 |也《ナリ》。
|然而《シカレドモ》、|或時《アルトキ》 |女《オンナ》 |為《ナニカノ》 |憑依《ヒョウイスル》 |所 何《トコロト ナリ》、
|姿《スガタ》 |一変《イッペンス》。 |額《ヒタイニ》 |有 角《ツノアリテ》 而 |其《ソノ》 |髪目《ハツモク》|之《 ノ 》|色《イロ》 |蒼《アオシ》。
|更《サラニ》 |扱《ヒョウジュツヲ》 |氷術《アツカフ》。
|其《ソノ》 |後《ノチ》、|女《オンナ》 |身籠《ミゴモリテ》 而 |産 一子《イッシ ウム》。
|偽《イツハリ》 |之《ノ》 |物語《モノガタリノ》 |始《ハジマリハ》、|在《コノ》 |此 出来事《デキゴトニ アリ》。
【その昔、とある一人の女性が居た。
彼女は人間だったが、ある時〝何か〟に憑依され、姿が一変する。
額には角が生え、髪や目の色は蒼く、
更には氷を操る、不思議な術を扱うようになった。
その後、彼女は身籠り、一人の子を産んだ。
この出来事が、〝偽り〟の始まりとなったのだ。】
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「〈|六華將《ろっかしょう》〉の目的はなんだ?」
桜が舞えば、季節も|廻《めぐ》る。
深緑だった葉は今や色を変えてしまい、はらりはらりと落葉する様は、|白秋《あき》の訪れを物語っている。
|金烏《たいよう》の陽射しも柔らかく、穏やかな時間が流れている、|魏国《ぎのくに》の都・|洛陽《らくよう》。
その軍議室では、穏やかさなど微塵もない、重々しい空気が漂っていた。
「……もう一度言う。
〈六華將〉の六人のうち一人は|蜀《しょく》に居る。そして二人はこの国だ。恐らくもう一人は|呉《ご》にいるだろう。それはいい。
だが、先程伝えた|奇譚《きたん》。あれを踏まえれば、今この時点で、〈六華將〉は既に全員が揃っていると考えられる」
静かに、而してどこか鋭さが混じった声音で、|仲達《ちゅうたつ》はゆっくりと言葉を紡いでいく。
広げられた地図と、それを照らすように灯されている|蝋燭《ろうそく》。
それらが置かれた長机を囲むようにして、|子元《しげん》や彼の弟の|子上《しじょう》、そして|神流《かんな》など、それ以外にも複数の人物がいる中で、仲達の瞳は〈六華將〉を率いる立場にあると言われている、桜の鬼・|薙瑠《ちる》を捉えて離さない。
「蜀と呉には、現時点で確認されている以外の〈六華將〉が存在する可能性は低いと聞いた。
そうなると、残る選択肢は|此処《ここ》──|魏国《ぎのくに》だ。
つまり、残る二人はこの国に潜んでいるんじゃないのか? 桜薙瑠」
仲達の真っ直ぐな視線を受けながら、薙瑠は静かに彼の話を聞いていた。
しかし、その質問に答えたのは、彼女ではなく。
部屋の片隅で壁に寄りかかりながら腕を組んでいる神流だった。
「……相変わらず鋭いわね」
その表情に笑顔はなく、真剣な瞳で仲達を見据えている。
「確かにこの国にいるわ、その残る二人はね」
「ならば、姿を隠してまでこの国にいる理由はなんだ?」
「この国を支えるため。
本当にそれだけよ。
姿を現さないのは、その方が〈|六華將《私たち》〉にとって都合がいいから」
はっきりと言う神流を、仲達はその真意を見定めるかのように、鋭く煌々とした視線で射ていた。
しかし、神流の瞳もそれに負けるとも劣らず、仲達の姿を捉えており。
交錯する両者の双眸は、静かな閃光を散らしているようで、辺りに緊張の糸が張り詰める。
誰一人口を開けない緊迫した室内で、机上の炎だけが揺らめいている中。
「迷惑は、かけません」
凛とした声で、そんな言葉が紡がれた。
声の主は、言うまでもなく。
「絶対に、国に迷惑はかけません。
もしもあなたが、〈六華將〉を邪魔だと、信用できないと思った暁には。
容赦なく刃を向けてくださって構いません。
全ての判断はあなたにお任せします、仲達様」
薙瑠ははっきりと、彼の目を見て言い切った。
その真っ直ぐな瞳を、仲達はただ静かに、鋭い視線で見つめている。
神流と薙瑠は、姿を表さない〈六華將〉の二人については言及したものの、〈六華將〉の目的については明らかにはしていない。
だからこそ、そんな仲達の様子に、その場にいる誰もが、更に追求するのだろうと、身構えていたものの。
意外にも仲達は、何も言うことなく目を伏せて、小さくため息をついた。
そして、静かに。
「……そうか」
ただ一言、そう紡いだのだった。
追求をしない彼の態度に、その場にいた一同は、僅かに驚きの表情を浮かべた。
らしくない、そう感じたのだろう。
しかし、彼のその対応をきっかけに、今までの重く、緊張感のあった空気は嘘のように消え去り。
一転して落ち着いた空気へと変化した。
そんな中、薙瑠の視線は仲達の後ろ、誰もいないはずのその場所に注がれていた。
それを不審に思った仲達が眉根を寄せるも、すぐにその意味を理解したようで。
「──|鴉《からす》」
低い声でその名を呼んだとき。
仲達の座る椅子の背後で、突如小さな疾風が巻き起こる。
それが消えたかと思えば、そこには一人の人物が立っていた。
「流石仲達、察しがいいな」
腰のあたりまで真っ直ぐと伸びている、漆黒の髪。
前髪に、左に流れるような特徴的な癖毛があり、その下から覗くのは、蝋燭の炎を映し、爛々と輝く赤い瞳。
その身長は、薙瑠よりも少し背が高いくらいという、男性にしては小柄であるものの、装いも真っ黒で、どこか仲達と似た雰囲気を持つせいか、小柄な身長には似合わない気迫がある。
そんな彼は、長い髪を揺らしながら机の方へと歩み寄り、椅子に座る仲達の横に並ぶと、にやり、と口角を上げた。
そんな彼の様子を見て、神流が小さく、呆れたようにため息をつく。
「|鴉《からす》、あんたいつからそこに居たのよ」
「始めからだ。仲達がお前たちをここに招集したのは、俺の伝えたことがきっかけになってるからな。
ま、薙瑠だけは俺が居ることに気づいてたみたいだが」
笑って喋る鴉に対し、仲達、神流、薙瑠を除く全員が鴉という人物をまじまじと見つめていた。
というのも、鴉はめったに人前に姿を現さないからだ。
子元に関しては暴走した時に相対していた訳だが、その間の記憶は彼には無いため、初対面と言っても過言ではない。
「何を伝えたのよ?」
「『〈六華將〉については手を出すな、彼らの事情を最優先しろ』っていう|言伝《ことづて》だ」
「へぇ……興味深い言伝ね。
でもだからなのね、薙瑠ちゃんの言葉を追求しなかったのは」
鴉の言葉を聞いて、神流がどこか納得したような顔で仲達を見れば、彼は嫌そうに眉根を寄せて舌打ちする。
「うるせぇ。余計なことを言うな」
「でもあんたがそこまで忠実に言われた通りにするなんて、余程信頼してる相手か、或いは逆らえない相手なのか、どっちかしかないわよね?」
「……」
一転して黙り込む仲達に、神流は僅かに訝しげな顔をしながらも、言葉を続けていく。
「もっと気になるのは、その言伝の内容よ。
正直……私には、そんなことを言う人の心当たりが全く無いわ」
「だろうな……その言伝を頼まれた俺自身も驚いたことだからな」
神流の鋭い言葉に、鴉は先ほどまでの笑みを浮かべていた様子とは打って変わり、どこか神妙な面持ちをしている。
「……誰なの? その言伝をあなたに預けたのは」
彼はそんな神流の問いかけに、一転して真剣な表情を浮かべた。
そして彼女を静かに見つめながら、ゆっくりと。
「あの人に会ったんだよ。
この世で……〝|最初《はじまり》の鬼〟と言われている人だ」
神流の瞳が、驚いたように丸くなる。
「……驚いた、まさかここでその名が出てくるなんて」
「そのことでお前と薙瑠に話がある。
だからここに来たんだ。
そして仲達、お前はあの人のことを説明するために、子元たちを招集したんだよな?」
鴉の言う事は図星だったらしい。
自分の考えを見透かしているかのような言葉に嫌気が差したのか、仲達は横目で睨むように鴉を見たあと、目を伏せながら小さく舌打ちをする。
神流も鴉の言葉を聞いて、あることに気付いたようで、小さく「あっ」と声を漏らした。
「そっか、子元たちは知らないのよね、あの人のこと」
「ああ。薙瑠は知ってるよな?」
「はい、少し話を聞いた程度ですが……」
「なら大丈夫だ」
鴉は薙瑠を見て優しく笑う。
「じゃあ神流、薙瑠、ここは仲達に任せて俺たちは場所を移動しよう。お前たちには他にも伝えたいことがあるからな」
「分かったわ」
「承知しました」
素直に頷いた二人を見て、よし、と呟いた後、鴉は机を囲む数人の後ろを通り、仲達が居る位置から向かいにある扉へと向かう。
扉の前に着くなり、開けようと取っ手に手をかけたが。
その前に、鴉は肩越しに仲達を振り返った。
彼の赤き瞳は、長く伸びる机の向こう側に座る仲達の姿を映し出す。
「……仲達、念の為に伝えておく。
これはあくまであの人の命令だ、俺の意思じゃない」
鴉が静かに言葉を投げかければ、仲達はちらりと目線を上げた。
すぐに目を伏せたものの。
「……分かっている」
小さな声で、頷いた。
その声を聞き届けた後、鴉は神流と薙瑠の二人と共に、軍議室を後にする。
三人の足音は、徐々に遠ざかってゆき。
室内は再び、静寂に包まれた。
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