── 第弐章 ──
番外篇 ── 翠ノ華ヲ支エシ者
|蜀国《しょくのくに》の都・|成都《せいと》。
|魏国《ぎのくに》との戦から帰還した|伯約《はくやく》と|狼莎《ろうさ》は、伯約が乗っていた馬を預けるため、|厩舎《きゅうしゃ》に来ていた。
狼莎は馬には乗っていなかったものの、動物が好きな彼女は、彼に同行していた。
彼が厩舎に預けた馬を、狼莎は優しく撫でている。
そんな彼女を、伯約はどこか浮かばない顔をして見ており。
そしてぽつりと。
「……怒られそう」
そんな言葉を漏らした。
「ん〜? 誰に〜?」
「|費禕《ひい》殿に……」
「承諾、貰ったって言ってたじゃない〜」
「……それが、実は、ちょっと強行した感じで」
「えぇ〜?」
そこで初めて、狼莎は伯約へと視線を移した。
いつもなら柔らかな微笑みを浮かべている彼女も、呆れたような顔をしている。
「ねぇ、それって、あなたが本当に帰ってこない結果になってたら、彼の怒りの矛先は、私に向いてたってことだよね〜?」
「……そうだろうな」
「ひど〜い」
「すまない! でもほら、ちゃんと生きて帰ってきたし、全部俺が責任取るから……!」
と、伯約が言った直後。
「ほぉーう、しかと聞き届けたぞ、|姜維《きょうい》殿」
そんな第三者の声が響く。
それが誰の声なのかは言うまでもなく、伯約が苦笑いで後ろを振り返れば。
少し白髪が混じった中年男性が、腕を組んで笑っていた。
「全ての責任は取ると、そう言いましたな。
ではそれに免じて、狼莎殿はお咎め無しで構いませぬぞ」
「ありがとうございます〜」
「とは言え、承諾を貰ったなどと嘘までついていたのだ、責任は姜維殿一人にあって当然ですな」
「……ですよねー……」
喜ぶ狼莎とは対照的に、伯約は項垂れている。
そんな彼を見て、中年男性──|費《ひ》|文偉《ぶんい》は、呆れたように小さくため息をついた。
「……まさか死にに行く前提だったとは」
「あー……いや、あの、それはですね……」
「桜の鬼。そなたの死が、桜の鬼を助ける術だと?」
「正確には、桜の鬼に殺されることが……です」
「ほぅ、そこまでして協力したがる桜の鬼とは、一体どんな人物なのか、一度はこの目で見てみたいものだ」
面白がるように伯約の話を聞く文偉だが、その瞳は笑っていなかった。
それも当然だろう。
現在の蜀は、昨年の|諸葛亮《しょかつりょう》の|北伐《ほくばつ》によって疎かになっていた、内政の回復が急務であった。
|費《ひ》|文偉《ぶんい》は、その政策を行う立場にある人物の一人である。
伯約は、そんな彼の静止を無視してまで、少数とはいえ軍を動かしたのだ。
そして僅かながらも、貴重な兵力を失った。
伯約自身の身勝手な行為は、国の回復に大きく影響が出る可能性もあるだろう。
「鬼として生まれたことに、そなたがどんな思いで居たのかは、人間である|私《わたくし》も多少のことは理解しているつもりだ。
だからこそ、素直に事実を伝えてもらいたかったと、そう思うのだが」
「あー……はい、それは分かってはいたんですがね……死にに行く、なんてとても言い出せなかったというか」
「何を言う、戦好きなそなたがそんなことを言い出したところで、誰もおかしいとは思わぬぞ」
「えっ」
意外な返答に伯約か目を丸くすると、文偉は面白がるように口角を上げた。
「そなたが内政に向いているとは思わぬからな、現状そなたが居ようが居まいが、大して変わらぬ」
「えぇ〜……それはちょっと傷付きますよ|費偉《ひい》殿……」
「でも実際本当に有り得そう〜」
「なんだよ狼莎まで……」
拗ねる伯約を見て、文偉は揶揄うように笑う。
「はっはっはっ、冗談だ。
そなたも|蜀国《しょくのくに》に仕える大切な人材。そしてそれは、今回そなたが連れていった兵士全員にも当てはまることだ、姜維殿」
「……はい。承知しております」
「少数とは言え、本来ならば失うことの無かった命を、そなたの身勝手な都合で失った。
許されることではない」
一転して真剣な顔、真剣な声音で言う文偉の言葉は最もだった。
兵士本人が自ら志願してくれたとは言え、伯約が立ち上がらなければ、そもそもこの戦が起こることは無かったのだ。
そのことは伯約自身も、充分理解していた。
だからこそ。
伯約は丁寧に|拱手《きょうしゅ》し、翡翠色の瞳で、真っ直ぐと文偉の姿を捉えれば。
「如何なる処罰もお受けいたします。
もとより死を覚悟しておりました。
故に、どんな処罰だろうと、受ける覚悟はできております」
真剣な声音で紡がれた覚悟は、文偉にもしっかりと伝わったらしい。
文偉はうむ、と小さく頷いた。
「良かろう、処罰は後日、追って伝えることとする」
「承知致しました」
「ところで姜維殿、そして狼莎殿」
「はい」
「何でしょうか〜」
「桜の鬼はどんな方だったのだ?」
「……へ?」
思わぬ問いかけに、素っ頓狂な声を出したのは伯約だった。
話の変わりように思わず怯んだようだったが、一方で狼莎は、くすりと小さく笑って直ぐに対応する。
「あまりお伝えしてませんでしたね〜、すごく可愛らしい子なんですよ〜|薙瑠《ちる》ちゃん」
「ほぅ、薙瑠殿と言うのか」
「はい〜、動物に例えるなら……狐みたいな感じです〜」
「狐? その例えはよく分からねぇぞ……」
狼莎の例えに、伯約は首を傾げる他なかった。
それは文偉も同じだったようで。
「姜維殿から見た桜の鬼は、どんな方だったのだ」
話を逸らすように、伯約へと話題を振ったのだった。
「え? あー……そうですね、確かに可愛らしい人であることは同感です、少ししか話してませんが。
他に特徴を上げるとしたら、強かな女性でした。
強かで可愛らしい……なので、刀を持って舞う姿は、もう目を奪われるというか……」
「……ほう」
「へぇ〜」
感じていたことを素直に口にした伯約だったが、二人はそんな伯約を意味有りげに見つめていた。
当然伯約自身も、その視線に気付き。
「……何かおかしなことでも言ったか?」
「そんなことないよ〜、ただ、薙瑠ちゃんのこと、本当によく見てたんだな〜って思ってね〜」
「ふむ、そなたがそこまでしっかりと他人を観察することができるとは、これは意外だったな」
「そりゃあ、桜の鬼と戦うために行ったんだ、相手のことをよく見るのは当然のことだろ」
そう言い切る伯約に対して、狼莎は柔らかな微笑みを浮かべながら。
「そんなこと言ってるけど、本当は薙瑠ちゃんに会いたかっただけなんでしょ〜?」
そんなことを言ったのだった。
「は、はぁ!? 何言ってんだよ!?
俺は本当に戦う以外の目的は持ってなかったからな!!」
「分かってるよ〜、でも薙瑠ちゃんに会いたかったっていうのも、ある意味では間違ってないでしょ〜?」
「ま、まぁ……そうだな……」
「しかし、そこまで慌てるとは、何か他意があったようですな?」
「ち、違……! ったく何なんだよ、二人して……!」
慌てふためく伯約を見て、文偉と狼莎は面白そうに笑う。
「俺はもう疲れたんだ、寝かせてくれ」
「どの口が言う、勝手な真似をしたのはそなただろう」
「ぐっ……」
「ふふ、費偉殿、彼も反省してるし、今日はそのくらいにしてあげてください〜」
「では狼莎殿に免じて、本日はここで良しとしよう」
「ありがとうございます〜」
そんな会話をしながら、三人は建物の中へと姿を消していく。
蜀国所属の鬼、伯約と狼莎。
二人の後ろには、彼らを支える、多くの|人間《ヒト》の存在があった。
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