── 第参章 ──
其ノ伍 ── 神子ノ記憶ハ分霊ニ在リ (5/11)
|神者《カミナルモノ》、|在《 ショウ》|於〈逍遙樹〉《ヨウジュニ アリ 》。
|夫《ソレ》 |呼 分霊《ワケミタマト ヨビ》、|宿 神之分身《カミノ ブンシン》 |於 其樹《ソノキニ ヤドル》。
|祓《ハラエ》、|守護《シュゴ》、|隠《カクレ》、|陰陽《インヨウ》、|終焉《シュウエン》。
|此等之役割《コレラノ ヤクワリ》 |分 与《ロクニンニ》 |六人《ワケアタフル》 |鬼神《キシン》。
|其名《ソノナ》、|木花咲耶《コノハナサクヤ》 |也《ナリ》。
|宿 神《カミノ ヤドリシ》〈|逍遙樹《ショウヨウジュ》〉。
〝|始《ハジマリ》|与《ト》|繋《ツナガリ》|之《ノ》 |記憶《キオクモ》〟|眠《ショウ》|〈逍遙樹〉《ヨウジュニ ネムル 》。
|記憶《キオクト》 |会 時《アイシ トキ》、|既《スデニ》 |迫 目前《モクゼンニ セマル》 |也《ナリ》。
【〈|逍遙樹《しょうようじゅ》〉。
それには神なる者、正確には、|分霊《わけみたま》と呼ばれる、神の分身が宿っている。
|祓《はらえ》、守護、|隠《かくれ》、|陰陽《いんよう》、終焉。
これらの役割を、六人に分け与えた鬼神──その名は|木花咲耶《コノハナサクヤ》。
神の宿りし〈逍遙樹〉。
〝始まりと繫がりの記憶〟が眠るのも〈逍遙樹〉。
記憶との出会いは、もう目の前にまで迫っている。】
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|洛陽《らくよう》を発って二日後、目的地の近辺にある砦に着いた|子元《しげん》と|薙瑠《ちる》は、そこで一日旅路の休息をとり、その翌日に村を訪れた。
子元にとっては、懐かしい場所。
薙瑠にとっては、要となる場所。
抱く思いは違えども、目的は同じ〈|逍遙樹《しょうようじゅ》〉だ。
薙瑠が〈逍遙樹〉に幻術を施し、|遷《うつ》す準備をする間、子元は彼女の護衛をする。
本来ならば立場的に逆なのだが、桜の鬼にしかできないとあらば、仕方がない。
それが今回の任務。
二人はその任務を遂行するため、|金烏《たいよう》が真上にある頃に村へと向かう。
過去に仲達と子元が訪れたときにはこの間の移動にも馬を用いたが、今回は薙瑠が乗馬していないこともあり、徒歩で赴いた。
「村へはあまり迷惑をかけたくないので、裏から回りましょう」
「ここへ来るのは初めて……だと聞いたが」
「確かに初めてですが、〈逍遙樹〉の場所は分かるので問題ないですよ」
「そうか」
そんな会話を交わしながら、田畑の間に続く道を、村へと向けて足を進める。
その道中に、せっせと働く数人の村人の姿が見受けられた。
こちらに気付いて顔を上げた者も数人おり、彼らは軽くお辞儀をするような形で、挨拶代わりに頭を下げようとした──その直前。
顔を強張らせた。
そして、その中の一人が逃げるようにして村の方へと駆けて行った。
(……なんだ……?)
内心でそう呟きつつも、子元には心当たりがあった。
──そう、あの反応は恐らく。
「……私の容姿は、やっぱり変わってるんですね」
子元の隣で、薙瑠がぽつりと呟いた。
彼女も、今の村人の反応を見ていたのだ。
「いや……似てるんだ。この村にいる、少女に」
「道中話してくれた子のことですね。……|蒼燕《あおつばめ》、でしたか」
「……ああ」
村に来る道中に、子元は過去にここを訪れたときのことを、薙瑠に話していた。
もちろん、助けられなかった少女──蒼燕のことも。
「その子は今もまだ、この村にいるのでしょうか」
「どうだろうな……」
「……」
「……」
それきり、二人はお互いに黙りこんだ。
子元が抱くは、その少女が薙瑠なのではという、根拠のない疑念。
そして、それを裏付けるかのように、薙瑠は蒼燕という名前を知っていた。
しかし彼女がその名を知っているのは、子元が抱く疑念とは全く違った理由だった。
沈黙した状態のまま歩き続けていると、気付けば村の入口付近にまで来ていた。
子元はそこで一度足を止め、薙瑠を振り返る。
「裏から回ると言ってたが、〈逍遙樹〉はどこにあるんだ?」
「この村の隣に、小さな森のように木が集まっている場所がありますよね」
「ああ……あそこか」
「はい。あの中に紛れ込むようにして、その木があります」
二人が立つ位置から右奥の辺りに、木が生い茂っている場所がある。
この村自体が木々に囲まれている村のため、周囲には数多くの木があるが、その場所はより背の高い木が密集しているようだった。
風がなく、暖かな日差しが辺りを照らしている。
その気候がなんとも心地よい。
「本当は、挨拶も兼ねて、村を通って行ったほうがいいと思うのですが……」
「遠回りしていく、か」
「……はい。その方が、村の人々も不快な思いをしなくて済むのではないでしょうか」
「そう……だな」
子元は小さく頷いた。
薙瑠はそんな彼を見て、僅かに微笑んだあと、村の外側にある細い道を歩き始める。
この村に今も蒼燕がいるのかどうか、まだ確認できていない。
居るならば、彼女が蒼燕であるという疑念はなくなる。
それをはっきりさせるためにも、本当ならすぐにでも確認したいところだが、今回の目的はそれではない。
それに、彼女が蒼燕であろうがなかろうが、蒼燕と再会した時、己は一体どうしたいのだろう。
再会したからと言って、今更何かできる訳でもない。
会いたいような気持ちもある反面、会いたくない気持ちも燻っており、そういう意味では村の中を通らなくて正解だったかもしれない。
二人は村の外側の小道をゆっくりと歩く。
小さな森の前に辿り着くと、薙瑠は躊躇うことなくその森の中へと足を踏み入れた。
子元もそれについて行く。
小さいとはいえ、森である。
地に茂る草はくるぶしくらいの高さのため、歩きにくいことはないが、道があるわけではない。
木々の木漏れ日のみが差し込んでいる薄暗い森の中を、薙瑠は迷うことなく足を進めていた。
「桜の鬼ならば、〈逍遙樹〉の気配のようなものを感じ取れるのか?」
自身の前を迷いなく歩く彼女を見て、不思議に感じたらしい子元は彼女に問いかけた。
薙瑠は僅かに振り返りながらも、足を止めることなく答える。
「そうですね、気配もありますが、ここまで近くまでくれば、気配を感じるというよりは 視えるという感じです」
「視える? 〈逍遙樹〉がか……?」
「いえ、木が見えるわけではなく、何といいますか……〈逍遙樹〉が纏う粒子……光の粒みたいなものが、視えるんです」
「……不思議だな……」
そんな会話をしていると、森の奥から僅かに光が見えた。
木漏れ日の光ではなく、ほんのりと輝くような、桃色の光。
その光が目に入ってから、少し進んだだけですぐに光源の正体が明らかになった。
目の前に現れたのは、異様な存在感を放つ木。
薄暗い森の中で、妖しく輝く桜を咲かせている。
そう──これこそが〈逍遙樹〉だ。
その木を中心にしてできた、円形の小さな空間が、そこにはあった。
小さな空間と言っても、小さな家屋なら五つは優に並ぶくらいの広さだ。
〈逍遙樹〉は、これまで歩いてきた道のりにあった木々よりも僅かに背丈が低いために、森の外からは周囲の木々に隠れて見えない。
〈逍遙樹〉を隠すようにそびえ立つ、周囲の木々。
その様はまるで、〈逍遙樹〉を護っているようだった。
「……これが……」
「はい、〈逍遙樹〉です」
その木の根本辺りまで近付いた二人は、頭上に花咲く桜を見上げた。
薙瑠はさほど驚いた様子もないが、子元に関しては食い入る様に、というよりは魅入るように見つめている。
真剣に見上げる子元の様子が可笑しかったのか、薙瑠はふふ、と小さく笑う。
「桜の木を見るの、初めてじゃないですよね?」
「初めてではないが……何故か、魅入ってしまう」
「その気持ち、良く分かります。私も〈|空間変化《くうかんへんげ》〉で桜の木を見たときに、自分で作り出した空間なのに、ついつい魅入ってしまいました」
そう言って、薙瑠は柔らかく微笑んだ。
彼女のその言葉で、子元はあることに気付く。
よく見れば、この木は──〈空間変化〉のときに見た桜の木と似ている。
同じ種類の木なのだから似ているも何もないのだろうが、〈逍遙樹〉と〈空間変化〉の桜の木は、ただ単に同じ桜の木というわけではない気がした。
「早めに終わらせて帰りましょう。あまりこの村に長居しないほうがいいと思うので」
「……そうだな。この後の事は任せてもいいか」
「もちろんです。そのために来たんですから」
薙瑠は小さく微笑んだ後、左手に持っていた刀を鞘から抜き、顕になった桃色の刀身を真っ直ぐと〈逍遙樹〉へ向けた。
そしてその切っ先を、木を傷つけないように軽く触れさせる。
「〈|紅桜《くおう》・|枝垂《シダレ》ノ型〉」
その状態のまま薙瑠が静かにそう唱えると、〈逍遙樹〉の輝きが一層増した。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに元の明るさに戻る。
それを確認すると、彼女は〈逍遙樹〉に向けていた切っ先を降ろした。
目の前にある桜の木は、先程と変わった様子はなく、綺麗な花を咲かせている。
「今のは、何を?」
彼女の一連の行動に疑問を抱いた子元は、僅かに首を傾げながら問うた。
「幻術を施したんです。これでもう、この木が〈逍遙樹〉では無くなったとしても、この姿のまま変わることはありません」
「本来なら、〈逍遙樹〉でなくなった木は、周囲にある木と同じように常緑の葉を持つ木になる、ということだったな」
「そうです。最初に幻術を施しておけば、万が一この場が誰かに見られていたとしても、私達の話が聞こえなければ何をしてるのか理解できないでしょうし……話が聞こえる範囲まで近づけば、流石に私達に気づかれますからね」
「なるほどな」
しっかりしてるな、と感心するように頷く子元に対して、薙瑠は小さくふふ、と微笑んだ。
「ではこのまま、〈逍遙樹〉を遷す段階に入りたいと思います」
「ああ」
「申し訳ないですけど、少し離れたところで見ていてもらえますか?」
「ん、分かった」
子元は軽く頷いた後、踵を返して桜の木から離れる。
彼が周囲にある木の側まで移動したのを確認すると、薙瑠も〈逍遙樹〉からある程度の距離を取った。
静かに深呼吸をする。
心地の良い空気が全身に行き渡り、気持ちが落ちついてゆく。
──これで、神の|分霊《わけみたま》を迎える準備は──整った。
薙瑠は抜刀した状態のままだった刀を、今度は横に構えながら、その切っ先をゆっくりと鞘に収めていく。
刀身の半分くらいが鞘に収まったところで手を止め、横に構えたその状態のまま、目を閉じた。
「──|木花咲耶《コノハナサクヤ》の名の|下《もと》に命ず」
しん、としている森の中に、彼女の凛とした言葉が響く。
「|汝《なんじ》、|己《おの》が|神使《しんし》・|紅桜《くおう》の導く|儘《まま》に、我が身を依り代とし、|御身《おんみ》を預けよ」
その刹那、桃色の刀身が柔らかな光を放つ。
同時に撫でるような風が、彼女に向かって──いや、彼女に吸い込まれるかのように吹き始める。
仄かな光が彼女を包み、それは徐々に強さを増していき。
あたりはあっという間に、目も開けていられないほどの眩い光で覆われた。
しかしそれは一瞬の出来事で、光が収まった時には風も止み、元の静かな森の光景に戻っていた。
薙瑠は静かに目を開けると、刀身をしっかりと鞘に納めてから、子元の方を振り返った。
「終わりました。もう近付いても大丈夫です」
その声を合図に、子元は薙瑠の元へ足を進めるが、その視線の先には〈逍遙樹〉があった。
「……もう、この木は〈逍遙樹〉では無くなっている……のか?」
「はい、そうです。子元様には〈逍遙樹〉の姿が見えていると思いますが、それが幻術です。私の目には、〈逍遙樹〉の姿で覆われている、普通の木が視えています」
微笑みながら言う薙瑠。
彼女の口から、今までに幾度となく紡がれてきた、〝視える〟という言葉。
それがどんなに特殊なのかを、今漸く、実感できた気がした。
「これでひとまず、|呉国《ごのくに》への対策はできた、ということか」
「そうですね。戻りましょう」
「ああ」
薙瑠は踵を返してもと来た道を戻ってゆく。
一方子元は、軽く頷いたものの、〈逍遙樹〉の姿を纏う木を眺めたまま、その場を動こうとしなかった。
無事、何事もなく終えたわけだが。
その事に、素直に喜べないでいた。
蒼燕という、少女のこと。
薙瑠がその少女に似てること。
そして、自分が再び、この村に訪れる機会を与えられたこと。
偶然に偶然が重なっただけかもしれない。
しかし、だとしたら、この胸騒ぎはなんなのか。
昨日、ここに来るまでの道中にも、幾度となく感じた胸騒ぎ。
だからこそ──このまま何事もなく終わるとは思えず。
「子元様……? どうかしましたか?」
背後から薙瑠の声が届く。
その声に振り向けば、彼女はこちらを見てきょとんとしている。
(……俺の、考えすぎ……か)
彼女の普段と何ら変わらない顔を見て、そう感じた。
「……いや、何でもない。帰ろう」
そう答えたあと、子元も彼女の方へと足を前に出した──その刹那。
村の方から悲鳴が上がる。
「や、やめて!」
「来るな……!」
何かから怯えるような、逃げるような、慌てふためく複数の声が森の中にまで届いていた。
──嫌な予感が、当たったのか。
「薙瑠、少し様子を見に行くぞ」
「そうですね、それが良いかと」
二人は一言ずつ言葉を交わすと、来た道ではなく、村がある方へと駆け出す。
木々の間を縫うように、それでいて気付かれないように、気配を消しながら疾走する。
近付けば近付くほど悲鳴も大きくなる──かと思ったが。
むしろ逆に、静かになった。
それに違和感を覚え、子元は僅かに顔をしかめる。
ある程度近づいたところで、二人は木の影から村の様子を覗く。
そして、思わず息を呑んだ。
木々の間から見える範囲では、多くの民が倒れており、辺りには赤い|飛沫《しぶき》が飛び散っている。
その中心で、ひとり立ち尽くす人物。
見た目からして男性であろうその人物の身体は返り血を浴びており、手に持つ剣も含めた全身が、おどろおどろしい赤に染まっていた。
「何者だ……? 何の理由があってこんなことを……」
「……分かりません。ですが、子元様も感じていますよね?」
「ああ、僅かながら……あいつから妖気を感じる」
小さな声で会話する二人は、彼から微力な妖気を感じ取っていた。
そう、鬼である彼らさえ、ある程度近づかなければ感じられないほど微力な妖気なのである。
もしも彼が鬼ならば、|人間《ヒト》がもち得るはずのない膨大な妖気を感じ、一方で|人間《ヒト》ならば、隣にいても感じ取れるのほどの妖力は持ち合わせていないはず。
つまり彼は、鬼でもなく|人間《ヒト》でもない、中途半端な存在だった。
そこまで考えたとき、子元はある事を思い出した。
過去にこの村を訪れた理由。
それは、鬼がいるらしいという噂を聞いてのことだった。
その時、父は何を感じて、何を知った?
洛陽に戻ったときには何て報告したんだ?
そしてそれは──今目の前にいる、あいつの事なのか?
村で立ち尽くす人物を険しい顔で見つめながら、子元は過去の|己《おのれ》に問いかけていた。
しかし当然ながら、幼き彼はその答えを持ち合わせていない。
「……あいつは、鬼なのか?」
「鬼……でしょうね。小さいですが、〈華〉を持っていることに変わりはないので」
「そうか、お前は〝視える〟んだったな」
「はい。気になるとすれば、彼の〈華〉が咲いていないということでしょうか」
「咲いてない……?」
その意味を尋ねようと、子元が再び口を開けかけた、その時だった。
彼の瞳が二人の姿を捉える。
二人同時に息を呑み、咄嗟に身を隠す。
じっと身を潜めるが、どうやら近付いてくる気配は無かった。
それどころか、妖気が離れていく。
子元が再び村を覗くと、そこにはもう彼の姿は無かった。
相手が襲ってきたところで、二人にとっては敵ではない。
それくらい格下の存在だった。
だから正直、気付かれようが気付かれまいが、どちらでも良かったのだが。
「彼のことはひとまずおいておきましょう。それよりも、まだ村に人の気配を感じます。恐らく彼から逃れて、隠れている民がいるのかと」
「……あいつの目的が分からないと動けないのが正直なところだな」
「そうですね、無闇矢鱈に巻き込むわけには──」
そんな会話をしている時だった。
刹那、ゾッとするほどの強い妖気と、隠す気もない殺気が二人の肌を刺した。
その方向は──上空。
今、二人が居るのは、森の中。
上空に居るであろう敵の存在など、木々に邪魔されて視界に入らない。
まさに、森の中に潜んでいた事が仇となった瞬間だった。
「焼き尽くせ!! |焔鏡《ほむらかがみ》!!」
その声が二人の耳に届いた時。
辺り一帯に、頭上から覆い被さるように焔が迫り来る。
それを瞳に写しながら、子元をどう守ろうか、必死に頭を回転させていたであろう薙瑠。
子元はそんな彼女の腕を咄嗟に掴んで、自分のもとに引き寄せた。
そして空いている方の手で刀を出現させ、頭上から迫る焔に切っ先を向ける。
「|泡沫《うたかた》!!」
瞬間、半円の大きな水泡のようなものが、二人を覆うようにして展開した。
直後だった。
二人がいた森、そしてその周辺の村や田畑。
それら全てが、焔に呑み込まれたのは。
間一髪、難を逃れた子元と薙瑠。
反射的に目を瞑っていた二人が、ゆっくりと目を開ける。
その瞳に写り込むは、ぱちぱちと音を立てている、|黒紅《くろくれない》の木々と炎。
|青天《せいてん》の|霹靂《へきれき》。
緑広がる自然の景色は、|紅《あか》き|焔《ほむら》の海と化す。
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