── 第参章 ──
其ノ漆 ── 繋ガリ示ス過去ヘノ誘イ (7/11)
|始《ハジマリ》|与《ト》|繋《ツナガリ》|之《ノ》 |記憶《キオク》。
|意味《サクラノオニノ》 |誕生《ウマルルコトヲ》 |桜之鬼《イミスル》〝|始《ハジマリ》〟|与《ト》、
|示 神《カミトノ》 |誓約《セイヤク シメス》〝|繋《ツナガリ》〟。
|人生《ジンセイ》 |之《ノ》〝|始《ハジマリ》〟|与《ト》、|人々《ヒトビトトノ》 |之《ノ》〝|繋《ツナガリ》〟。
|此《コノ》 |記憶《キオク》 |誘 彼女《イバラノミチニ》|於 茨道《カノジョヲ イザナウ》。
【始まりと繫がりの記憶。
桜の鬼の誕生を意味する〝始まり〟と、神との断ち切れぬ誓約を示す〝繋がり〟。
そして、人生の〝始まり〟と、人々との〝繋がり〟。
この記憶が、彼女を|荊棘《いばら》の道へと|誘《いざな》ってゆく。】
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少しの時を遡り、|子元《しげん》と|伯言《はくげん》が戦闘を始めた頃。
|薙瑠《ちる》は〝視えない〟相手と静かに対峙したままだった。
彼女の背後では、刀同士が激しく交錯する音が響いている。
「姿を現したらどうですか?」
「……そうですね」
目の前にいる相手を静かに見据えている彼女の言葉に、相手は素直に応じたらしい。
その場にゆらりと、幽霊の如く姿を現した。
丈の長い|紅《あか》い|華服《かふく》の下から覗く、灰色のゆったりとした|下衣《ズボン》を身に纏い、焦げ茶の髪を右側で結っているその姿。
それは、彼女が|蜀《しょく》との闘いで見かけた、あの姿だった。
狂気じみている伯言とは違い、穏やかな雰囲気のある彼は、優しく微笑む。
「桜の鬼としての力が使えない気分はどうですか?」
「なんともありませんよ。使えなくなった、だけなので」
「随分余裕ですね、貴女の大切なお仲間が囚われの身であるというのに」
「……」
薙瑠は答えることなく、ただただ静かに彼を見ていた。
小さな火の粉がふわふわと舞う中、炎の海と化した森を背に佇む彼。
恐らくこの計画──柊を囚え、〈逍遙樹〉を狙うことを考案したのはこの者だろう。
「あの|奇譚《きたん》の解釈を考えたのも貴方、ですね」
「よくお分かりで。私には|呂《りょ》|子明《しめい》という名があります。ぜひ覚えていただきたいものですね」
彼は表情を変えることなく穏やかに応じる。
薙瑠もそれに応えるように、優しく微笑んだ。
「子明殿ですか、覚えておきましょう。
──〈|六華將《ろっかしょう》〉に|貢献した者《丶丶丶丶丶》として」
「……どういう意味で──」
子明の言葉が最後まで紡がれるよりも早く、薙瑠は地を蹴っていた。
瞬間移動の如く、突如目の前に現れた彼女の姿。
動きに合わせて彼女の前髪がふわりと揺れ、左眼にしている黒い眼帯が覗いている。
その様子を瞳に映しながら、子明は咄嗟に後方に飛び退く。
力強い一歩を踏み出して左から右へと薙いだ彼女の刀は、桃色の軌跡を残しながら空を斬った。
薙瑠はすかさず更に一歩踏み込み、今度は斜め下から斬り上げるように刀をはしらせる。
子明も次は避ける事をせずに、己の刀で迎え撃つ。
桃色と銀色の刀身が交錯するも、鍔迫り合いになる前に、薙瑠の方から距離をとった。
「いくら〈六華將〉と言えども、女性であることに変わりはないのですね」
「鍔迫り合いは力勝負、ですから。男性相手には到底かないません」
何処か|嘲笑《あざわら》うような笑みを浮かべる彼に、薙瑠は小さく微笑む。
しかし、その青い右眼は決して笑っておらず、深海の如く暗い色をしていた。
「一言だけ、言わせていただくと。
柊を囚え、〈六華將〉の目的や桜の力の弱点を知ったからと言って、あまり余裕を持たないほうがいいですよ」
どこか|棘《とげ》のあるその言葉に、子明は怪訝な顔をした。
初めて彼の顔から笑みが消えた瞬間だった。
薙瑠は気にせず言葉を続ける。
「この世界に、鬼なんていりません。
人間以上に力を持つ異形な存在なんて、いなくても成り立ちます。
人間を苦しめる、人間を滅ぼす力は、この世界には|在《あ》るべきじゃない」
「よく言いますよ、その鬼をこの世界に招いたのは、貴女方〈六華將〉なのでしょう? 柊はそう言ってましたよ」
「そうです。それでいいんです。この|時間《せかい》に生まれたあなた達には、〈|六華將《わたしたち》〉の邪魔をする権利がありますから」
彼女の瞳には未だ|陽光《ひかり》が灯らない。
その様はまるで、この|時間《せかい》の終わりを見ているかのような底知れぬ恐怖を感じさせ、子明は背筋に悪寒が走るのを感じていた。
しかし、そんなことを気にすることなく、子明は再び|嘲笑《ちょうしょう》を浮かべる。
「この世界に生まれたあなた達……という言い方は、まるで〈六華將〉は別の世界で生まれたのだと、そう言っているように聞こえますが?」
「はい、その通りです。
あなた達には知る由もないので、知らなくて当然です」
「では仮に、それが本当の話だとしましょう。
その話は──あなただけには当てはまらない、のではないでしょうか?」
彼女の瞳が揺らぎ、笑みが消えた。
そんな彼女の様子に、子明はクスリと小さく笑う。
「意味がわからない、というような顔ですね。では教えて差し上げましょう」
子明は手にしていた刀の切っ先を、真っ直ぐと彼女に差し向けた。
弧を描いた彼の唇から紡がれるは、彼女も知らない真実の欠片。
「あなたは──|この村で生まれた《丶丶丶丶丶丶丶丶》のではないですか?」
子明の発言に合わせて、辺りの炎が一層燃え盛る。
|爛々《らんらん》と揺れる焔を映す、薄茶色の彼の瞳。
そこから嘘は微塵も感じられない。
何か根拠があってそう言っているのだということは、薙瑠も理解していた。
──しかし。
「その、根拠は何ですか?」
顔色を変えないように平静を装っているものの、根拠がある事自体が信じられず、薙瑠は動揺が滲んだ声音で尋ねた。
──もしもその根拠があるのなら、自分の失われた過去が、何かわかるかもしれない。
そう思うと、彼女の中で心臓が激しく音を立てる。
「その話は彼──|茱絶《じゅぜつ》に聞いたほうが早いかと」
そう言いながら、子明は薙瑠に向けていた切っ先を、そのまま真横に薙いだ。
その動きに反応するように、切っ先を向けられた先にある炎が、道をあけるが如く左右に避ける。
開けた場所には、一人の人物が立っていた。
民のような出で立ちの、貧相な装い。
そこには赤黒く染まった返り血がついている。
先程の、村の民を襲っていた青年。
〈華〉が咲いていない──〈|蕾華《らいか》〉の鬼。
彼はゆっくりと足を進めて二人に近付く。
ある程度の距離を保ったところで足を止めると、憎悪にも似たような鋭い視線を薙瑠に向けた。
彼女の姿を瞳に映して、小さく呟く。
「|蒼燕《あおつばめ》」
彼女の心臓が大きく波打った。
名を呼ぶ言葉。
それは紛れもなく目の前の彼女、薙瑠に向けて発せられた言葉であり、同時に子元が過去に出会ったと言う少女の名前。
そして──|全ての元凶の名《丶丶丶丶丶丶丶》でもあった。
薙瑠は原因不明の苦しさを覚え、思わず衣服の胸元をぎゅっと握る。
そんな時だった。
『蒼燕』
同じ声で、同じ名前を呼ばれる。
しかし、今の言葉を紡ぐとき、彼の口は動いていない。
自身の中に宿る桜の木が、〈|逍遙樹《しょうようじゅ》〉が、ざわざわと揺れている。
恐らく今の言葉は、頭の中に響いた、〈逍遙樹〉に眠る記憶の声。
「……お前、俺を覚えてないのか?」
「……」
「この村で、お前がどんな立場にあったのか、俺にどんなことをされてたのか、何も覚えてないのか? まさか本当に──生き返ったのか? だから今までの記憶を失くしてるのか?」
「…………それは」
薙瑠は何を言われているのか分からず──いや、その言葉が自分に向けられているものであることが信じられず、不安げな顔で彼に尋ねた。
「それは……本当に私──」
「なぁ、何でお前ばかりそんなに恵まれてるんだ? 俺よりも後から生まれたくせに、女のくせに、強い妖気を持って、殺しても生き返って、今や伝説の鬼だか何だか知らないが、国にまで求められて……ふざけるな」
茱絶は薙瑠の言葉を遮って、溜まりに溜まっていたのであろう自分の気持ちを吐き出した。
当然、今の彼女には身に覚えのないことだった。
──そう、|今の《丶丶》彼女には。
「お前が何度も、俺の前に現れるのなら」
茱絶は歯を食いしばり、剣を握る手に力を入れて、ゆっくりと、一歩一歩、薙瑠へと近付いていく。
「その度に──殺してやる」
彼の声を、殺意の篭った言葉を、心の叫びを聞きながら、薙瑠はその場から逃げることも動く事もせずに、ただただ静かに、近付いてくる茱絶を見ていた。
そんな彼女の態度に耐え兼ねたのだろう。
「何度も、何度でも、何度だって殺してやる!!」
茱絶は地を蹴った。
殺意に満ちた、焦げ茶の双眸を見開きながら。
己の奥底に眠っていた、彼女に対する憎悪の言葉を叫びながら。
その時、彼女の頭の中では。
『お前はもういらない』
彼の言葉に呼応するように声が響く。
己に迫る彼の姿。
それでも。
──いや。
そんな状況だからこそ。
頭に響く声に耳を傾けようと、胸元をぎゅっと握ったまま、薙瑠は瞳を閉じた。
|瞼《まぶた》の裏に再生されるは、〈逍遙樹〉に眠る誰か分からない少女の記憶。
この村で、忌み嫌われていて。
とある青年から、暴力を受けていて。
寂しい。 悲しい。
苦しい。 つらい。
──消えてしまいたい。
そんな感情が渦巻いている、少女の記憶。
それでも彼女は泣いていなかった。
自分がその境遇にある事を、諦めや絶望にも似た心境で、それを受け入れていた。
けれど。
その少女でも泣いた瞬間があった。
それは、自分に訪れるであろう〝死〟というものに、気付いた瞬間のこと。
『や……めて……』
尻もちをついている彼女を、剣を持って見下す青年。
暴力を振るっていた青年だが、その顔までは思い出せない。
──|思い出せない《丶丶丶丶丶丶》のだ。
『……やめてっ……おねがい……しにたくない…………っ!』
『──死ね』
彼の剣は容赦なく、彼女の心臓部を貫いた。
悲しくて、苦しくて、辛い記憶。
薙瑠はゆっくりと目を開けた。
その右眼からは、一筋の涙が伝っている。
あの記憶は、確かに少女の記憶だった。
けれど、そこに刻まれた感情には、彼女以外の、別の人物──彼女に暴力を振るい、そして殺した青年の感情も混ざっていた。
辛い。 苦しい。 助けてくれ。
彼の心も、少女と同じように、悲痛な叫び声を挙げていた。
その彼こそが──今目の前にいる茱絶で。
少女は────私だ。
潤んだ瞳に迫る茱絶の姿を映しながら、薙瑠は彼の想いを受け入れた。
──己の身体で。
火の粉が舞う、緋色の世界の中。
茱絶の剣が、薙瑠の腹部を貫いた。
鮮血が飛び、辺りに紅い花を描く。
薙瑠は自身を貫く剣を握る彼の手に、己の手を添えた。
茱絶はそれに驚いて、思わず彼女の顔を見る。
そして更に驚かされることとなる。
彼の瞳に映った彼女は、苦痛で顔を歪ませながらも、涙を流しながらも、柔らかく微笑んでいたのだから。
至近距離で、二人の視線が交錯する。
「……つら、かった……んです、よね……」
「……は」
「思い……出し、たんです、今……全部。
あなたは……私を恨んでいい、んです」
「……っうるせぇ!!」
彼女を貫いていた剣が、勢い良く引き抜かれた。
その勢いで前方に倒れそうになるも、薙瑠はしっかりと足を踏み出して耐える。
とはいえ、どくどくと流れる血は、彼女の水色の衣服を赤く染めており、その勢いは留まることを知らない。
「お前に……!! 何が分かるんだよ!?」
「っ分かります!! 今だから……っ、分かるんです……!! それに…っ今なら、あなたが鬼になれない理由も……教えてあげら……れ、る……」
精一杯の力で言葉を紡ぎ終えた直後、彼女の身体は崩れ落ちた。
しかし、その身体が地に打ち付けられることはなかった。
それを受け止めたのは、茱絶でもなく、傍観していた子明でもなく。
どこからともなく、ふわりと舞うように現れた第三者だった。
「──後は任せるがいい」
その一言を聞いて安心したのか、薙瑠は薄っすらと開けていた瞳で彼を確認し、小さく微笑む。
そしてすぐに、その意識は闇の中へと落ちていった。
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闇夜にたゆたう、小さき桜。
それを優しく受け止めたのは、幼き少年の両手だった。
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