── 第参章 ──
其ノ玖 ── 物語ノ終焉二進厶時 (9/11)
|桜《サクラ》 |知《イナル》〝|異存在《ソンザイ ト》〟|与《マコト》〝|為 真 己《ナル オノレヲ シル》〟 。
|夫《ソレ》 |則《スナハチ》 |舞台《 ブタイ 》 |整《トトノフル》 |合図《 アイズ 》 |也《ナリ》。
|刻限《コクゲン》 |終 彼女《カノジョノ》 |之《イノチ》 |生命《ツイスル》 |其《ソノ》 |時《トキ》 |迄《マデ》 焉。
|其《ソレ》 |迄《マデニ》 |不 可 不《コノ セカイヲ》 |終 此時間《オハラセザル ベカラズ》。
|再度《サイド》 |伝《ツタフ》。〝|桜《サクラ》 |舞《マイ》 |散《チル》 |其《ソノ》 |時《トキ》〟|既《スデニ》 |不遠《トオカラズ》。
【己の中の〝|異《い》なる存在〟、そして〝|真《まこと》の自分〟に気付いた桜の彼女。
これで舞台は整った。
刻限は、彼女の命が終わる、その日まで。
それまでに、この|時間《せかい》を終わらせなければならない。
ここでもう一度伝えておく。
〝桜舞い散るその時〟はもう、そんなに遠くないのだということを。】
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暖かな日に照らされた、|魏国《ぎのくに》の都・|洛陽《らくよう》。
その|都城《とじょう》内は、普段と変わらない賑やかな雰囲気に包まれていた。
四方を壁に囲まれている都城には、この国を統治する|仲達《ちゅうたつ》やその部下達以外にも多くの民が暮らしており、食糧や衣料、装飾品を売る商人や、旅人などが泊まる宿屋を経営する人もいる。
木製の武器を手に遊ぶ子どもたち、そしてそれを微笑ましく見守る母親。
訓練をする兵士も居れば、馬の世話をする者も居る。
戦乱の時代とは思えないくらいの、穏やかな光景。
こうして都城内を満遍なく見渡せる唯一の場所が、|角楼《かくろう》と呼ばれる見張り台だ。
都城全体を囲む城壁の内側に、さらに城を囲むようにしてそびえ立つ城壁があり、角楼はその城壁の上にある瓦屋根の朱色の建物である。
上から降り注ぐ|金烏《たいよう》の陽を受けて、角楼の瓦屋根は眩しく照っている。
それとは対照的に、|金烏《たいよう》の陰になる屋根の下は薄暗く、厳かな雰囲気が漂う。
その角楼から、都城内の景色を見渡す人物がいた。
影の中、建物を支える朱色の柱に背を預け、険しい表情で腕を組んでいる。
そよ風が吹き、彼の灰色の前髪と、|白群色《びゃくぐんいろ》の|華服《かふく》を揺らす。
普段はおろされていて肩にかかるくらいの後ろ髪は、低い位置で纏められており、代わりに青い結び紐が風に揺れている。
城外に出るためのお洒落なのか、気分転換なのか。
恐らく、後者なのだろうが。
「兄さん」
そんな彼に、角楼内から出てきた一人の青年が声をかけた。
兄と同じ色の華服を揺らしながら近づいて来る彼は、弟の|子上《しじょう》だ。
手には美味しそうな肉まんが二つ。
「もうお昼だよ、これ、買ってきたから食べよう?」
「……いらん」
|子元《しげん》は子上の方を見向きもせずに、無愛想に答えた。
弟なりの気遣いを無下にされた子上も黙っているはずがなく、むすっとしながら言い返す。
「ちょっと、僕の親切を無駄にする気?」
「うるさい、気分じゃない」
「……あのさ、いい加減気持ち切り替えたら? 気分転換とか言って髪も結ってるけど、やっぱそれ効果ないじゃん」
そう言いながら、子上は手にしていた肉まんを頬張る。
他人事のような弟の対応に嫌気が差したのか、子元の整った顔が更に歪む。
実際、子上はあの場に居なかったのだから、他人事と言えば他人事なのだが。
「もう三日だ。まだ息があるとは分かっていても、ああなったのは俺の責任だ。俺が護れなかったから、俺が未熟だったから、あいつは……|薙瑠《ちる》は」
歯を食いしばる子元。
子上は肉まんを頬張りながらも、真面目に話を聞いているようで。
「……兄さんの気持ちも、分からなくはないけど。あれは誰にも予測できなかったことだよ」
とりあえずこれ食べてよ、と子上は少しでも兄の気を紛らわせようと、手にしていた兄の分の肉まんを差し出す。
今まで子上の方を見向きもしなかった子元だが、流石に二度は断ろうとせず、差し出された肉まんを素直に受け取った。
今から三日程前の、子元と薙瑠が〈|逍遙樹《しょうようじゅ》〉のある村へと向かったときのこと。
そこで幻術を施し、|分霊《わけみたま》を彼女の身体に宿すという任務は無事終えたかにみえた。
しかしその直後、|呉国《ごのくに》の|陸《りく》|伯言《はくげん》と|呂《りょ》|子明《しめい》による襲撃に遭い、炎の海と化した村の中で、子元と薙瑠は彼らを迎え撃つ。
問題はその後だ。
子元が伯言と相対している最中に、予想もしない事態が起きていた。
〈|六華將《ろっかしょう》〉である彼女なら、大丈夫だと思っていた。
相手を騙すと言えども、命の危機に直面したならば桜の力を使い、彼女が自ら命を危機に晒すような選択はしないと思っていた。
だからこそ、信じることができなかったのだ。
彼女が──格下の鬼に、|茱絶《じゅぜつ》に刺されていたという事実を。
そしてその後も。
負傷した彼女の傷口を|凍《こお》らせることで一時的に塞ぎ、あの戦いに終止符を打った人物のこと。
彼女を|此処《ここ》、洛陽まで|空を飛んで《丶丶丶丶丶》運んだ人物──鴉のこと。
いろんな出来事が起こりすぎて、子元は半ば混乱していた。
今回の任務を知っている仲達や|神流《かんな》を中心とする幹部たちには、鴉が先に説明したのだろう。
彼よりも遅れて洛陽に戻った子元に、その時のことを問う者は誰一人といなかった。
そのお陰で、彼自身も状況を整理する時間ができたのだが。
三日経った今でも、考えるのは彼女のことだけだった。
彼は、受け取った肉まんに視線を落とす。
肉まんはまだ温かい。
──薙瑠もまだ、生きている。
はむ、とくわえれば、美味しい味が口いっぱいに広がった。
──これを、彼女にも食べさせてあげたい。
確かに美味しいのだが、気持ちの整理ができていないせいか、あまり美味しく感じられない。
前を見れば、いつもと変わらない都城の日常。
それなのに、まだ自分にはいつもの日常が戻っていない。
そう感じるのはきっと──
「薙瑠殿がいないと寂しいね、兄さん」
子元の思いを代弁するかのように、子上がぽつりと呟いた。
既に肉まんを食べ終わったらしい彼は、石造りの柵から身を乗り出すようにして都城を眺めている。
「あいつが来るまでは、一人でもなんとも思わなかったんだがな……」
そんな兄の言葉に、子上は驚いたように子元の方を振り返る。
肉まんを頬張りながら都城を眺めている子元は、先程までの険しい顔ではなく、何処か寂しそうな、悲しそうな、そんな表情をしていた。
気を紛らわせることは成功していないが、少なからず自分を責めるようなことはやめてくれたようで、子上にはそれが嬉しかったらしい。
小さく笑いながら、兄はきっと答えてくれないであろう問いを投げかけた。
「薙瑠殿に会いたい?」
子元は景色に目を向けたままで、子上と目を合わせることはなかったが、肉まんの最後の一口を食べ終わると、ぼそりと呟いた。
それはもう、周囲の音にかき消されてしまうくらいの小ささで。
「……会いたい」
そっぽを向きながら呟く子元の前髪が、寂しそうに揺れる。
なんとかその呟きを聞き取った子上は、再び目を丸くしながらも続けて問うてみた。
「薙瑠殿と話したい?」
「……話したい」
「一緒に居たい?」
「いたい」
「お嫁さんにしたい?」
「した……いや、待て、ふざけるな」
思わぬ罠に、子元は反射的に顔を上げる。
面白そうにしている弟の顔が目に入るなり、父親に似た鋭い眼光で睨んだ。
「したいんでしょ?」
「黙れ」
「もー、今の兄さん素直だから言ってくれると思ったのに」
「誰が言うか馬鹿」
「でもさ、薙瑠殿に好意を寄せてるのは事実でしょ?」
「は?」
「……ごめん、僕が悪かったって。だからそんな怖い顔しないで」
その視線が本気であることを感じ取ったらしい子上は、表情を一転させ、真面目な声音で謝った。
そんな弟を暫くじっと見たあと、子元は睨むような視線のまま、再び日常の景色へと目を移す。
気を紛らわせるつもりだったようだが、弟に言われた言葉が自然と胸の内で反復し、視覚からの情報が頭に入るはずもなく。
──お嫁さんにしたい?
──好意を寄せてるのは事実でしょ?
繰り返される言葉に対して黙っていられず、子元は自問自答をするはめになる。
好意、だと?
彼女に好意を寄せている?
何故|弟《こいつ》はそう思った?
そんなに分かりやすいのか?
というかそもそも、自分は本当に、彼女に好意を寄せているのか……?
それらの問いを、繰り返し己に問いかけるものの、結局答えは出ず。
しかし、これだけ悩むことこそが、好意を寄せている証になるのではないか。
「……? そうなのか……?」
険しい顔で真剣に考え込んでいるようで、子元は口元に手を当てながら、うーむ、と唸っている。
そんな兄を見て、何を考えているのかある程度予想できた子上は、あることを思い立ったらしく、突如、壁に背を預けたままの兄の前に立った。
「……なんだ」
弟のよく分からない行動に、怪訝そうな顔をする子元。
子上は兄と同じ青い瞳を僅かに細め、突如子元越しに壁に足をついた。
兄よりも顔半個分身長が低い子上は、子元を見上げるような形で、悪い笑みを浮かべている。
その笑みを見て、子元の片眉がぴくりと動く。
そう、これはまさしく、子元が出会い頭に薙瑠に対して取った行動である。
そうと分かれば、子上がこの後することは。
「お前、俺の嫁になっ……!」
「いい加減にしろ」
完全に無防備だった子上のみぞおちを、子元は膝で思い切り蹴りあげた。
思わぬ攻撃に、子上は最後まで言葉を紡ぐことなくその場にうずくまる。
「ぐ……強すぎるって兄さん……」
「ふざけるお前が悪い」
「僕は至って真面目だよ、兄さんが悩んでるから答えを教えてあげようと思って……」
「余計なお世話だ」
涙目で訴える子上の言葉を、鋭い声音で一掃した。
しかし、今の彼の行動のお陰なのか、子元には気付いたことがあった。
あの桜の木の下で、彼女と初めて出会ったとき。
その時に比べ、自分の気持ちに変化があった。
当時は〈華〉の意思によるものだと、己の気持ちを誤魔化していたが。
今は、誤魔化したくない。
彼女に対する己の気持ちを偽りたくないと、そう思う自分がいた。
そして同時に、子元は自覚したのだろう。
彼女に対する己の思いが──一目惚れによるものであるという事を。
それはつまり、先程まで悩んでいたことに、答えが出たということで。
刹那、子元の顔が朱に染まった。
咄嗟に片手で口元を覆い、顔を背ける。
子上は蹲っているため、そんな子元の様子に気付いていない。
そのことに子元は安堵した。
(あの時の事だけでなく、今のこの有様を知られたらこの上なく恥ずかし……)
突如、時が止まったかのように、子元の思考が停止する。
そして足元で蹲っている子上に、半ば棘のある言葉で問うた。
「誰に聞いた?」
「……何を?」
「とぼけるな。今の、なんでお前が知ってる?」
「神流殿だよ、後日兄さんの〈|開華《かいか》〉の話を聞いたら、面白そうにその話をしてくれたよ、僕と母さんに」
「あいつ……!」
父親だけでなく、まさか家族全員に知られるとは。
これ以上の羞恥はないだろう。
怒りからなのか、それとも恥ずかしさからなのか、拳を震わせている子元の顔は再び僅かな赤みを帯びていた。
それを冷やすように、涼しい風が角楼を吹き抜ける。
その風に運ばれてきたのは、僅かな花の香り。
その香りが鼻を刺激し、子元は脳裏に桜の木を思い浮かべた。
〈|空間変化《くうかんへんげ》〉によって創り出された、あの空間にあった桜の木だ。
しかし、その香りがしたのは一瞬のことで、ゆっくりと吹く風に乗って何処かへ行ってしまう。
どこから運ばれてきたのだろう。
そもそも都城内に自然はあまりなく、花の香りがする方が珍しい。
「子上、今の香りが何か分かるか?」
「香り……? 何のこと?」
不思議に思った子元は、未だうずくまったままの子上に問いかけるものの、彼には分からなかったようである。
──気のせいか。
今まで彼女に関することを話していたために、別の匂いを花の匂いだと錯覚でもしたのだろう。
そう思った子元だったが。
直後にそれは否定される。
いや、言い方を変えよう。
その香りは|事実《丶丶》だったと証明されるのだ。
みぞおちを蹴られ、腹部を手で押さえながら立ち上がる子上は、兄に再び問う。
「その香りがどうかし……た……」
子上の口から不自然に紡がれた言葉を聞き、子元はまたもや怪訝そうに子上を見る。
目を丸くしたまま固まっている弟。
彼の視線は子元ではなく、その斜め後ろ、角楼の建物内に注がれていた。
何事かと、子元も壁に預けていた背を起こし、角楼内を振り返る。
そんな子元の目に映ったのは。
まばらにある兵士の人影の中で、静かに佇む青い華。
その華は、二人を見て何処か気恥ずかしそうにしながらも、柔らかく微笑んだ。
「お久しぶり……ですね」
ふわりと舞う、青色の華服。
それは紛れもなく、今まで眠りについていた彼女──薙瑠だった。
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