── 第肆章 ──
其ノ拾弐 ── 想イノ形ト歪ナル宝石(12/15)
「──触るな」
低くはっきりとしたその声は、二人の頭上、木の上から聞こえてきたものだった。
|子元《しげん》は伸ばしていた手を引くのも忘れ、驚いたように見上げる。
視界に入ったのは、木の上で佇む黒い彼──|鴉《からす》。
声の低さ、前髪の特徴からして、その鴉は普段軍議などで会っている鴉ではなく。
村で子元を助けたときの鴉、だろう。
朱き瞳で子元を見下ろしていた彼は、少しの間じっと子元を見詰めたあと、二人の前に飛び降りた。
動きに合わせて、黒くて長い髪が舞う。
幾ばくかの木の葉が舞い落ちる中、鴉は二人の前に立つと、手を伸ばしたままの子元を、眉根を寄せながら静かに見下ろす。
「……その手を引け、|司馬《しば》子元」
「は……突然現れて何だその言いぐさは」
「こいつに気安く触るな、……と言ったのが分からなかったのか?」
鴉が現れて早々に火花を散らす二人。
しかし、それはすぐに鎮められる。
「鴉様も、隣にどうですか」
「……」
そう言われ、|薙瑠《ちる》へと移ったその視線は、子元に向けられていたものとは打って変わり、とても穏やかなものだった。
にこりと笑う彼女を、表情ひとつ変えずに見ていた鴉だったが。
彼は無言で歩み寄り、彼女の隣に胡座をかいて座った。
素直に言うことを聞いたらしい。
しかし、腰を下ろした鴉は、何かを求めるように、じっと彼女の顔を見ている。
「どうかしましたか?」
彼女が声を掛ければ、鴉は己のふくらはぎのあたりを、人差し指でとんとんと軽く叩きながら、一言。
「……薙瑠」
彼女の名を呼んだだけだった。
ただそれだけのやりとりで、薙瑠は鴉の意図を理解したらしく、小さく微笑んでから立ち膝の状態のまま彼の前へと移動し。
彼の足元に、すっぽりと収まった。
「……!?」
子元から、声にならない声が出る。
しかし、鴉の行動はそれだけでは終わらず。
あろうことか、彼女の小さな身体を優しく抱きしめ、その肩に顔を|埋《うず》めたのである。
「どうかしたんですか、鴉様」
「…………癒しがほしくなった」
「私でいいんですか?」
「お前以外に……癒しなどない」
「ふふ、そうですか」
当たり前のように会話する二人に、子元の頭はついていけておらず、唖然とした表情でその様子を見ていた。
薙瑠は軽く鴉の頭を撫でたあと、さて、と呟いて、さも何事もなかったかのように、子元に微笑む。
「話の続きをしましょう、子元様。
何か聞きたいことはありますか?」
「は……いや、待て。
その状態でか……?」
「? 何か問題でも?」
「…………」
鴉を見ている子元の顔は半ばひきつっており、とても話の続きを聞けるような状況ではなかった。
寧ろ子元の反応は正しいだろう。
突如現れた第三者が、己の話相手と身体を密着させた状態で話を続けろなどと言われても、気が散ってそれどころではない。
子元の場合は、もちろんそれだけではないだろうが。
「……おい、鴉」
「……」
「気が散る。邪魔だ」
「……うるせぇ」
「は……」
鴉はむくりと顔を上げると、不機嫌を顕にした顔で、鋭い視線を子元に向けた。
子元も、さっさとそこから|退《の》けとでも言うように、父親譲りの目つきで鴉を睨み返す。
沈黙が訪れた。
視線がぶつかるその場所に、見えない火花が飛び交っている。
どこか危ない空気を敏感に感じ取ったらしい薙瑠は、二人を止めようと口を開きかけたが。
沈黙を破ったのは、意外にも普段無口な鴉だった。
「……癒し」
「は?」
「お前にとって……こいつは癒しじゃないのか」
「…………癒しに決まっているだろう」
ものすごい小さな声で、しかし照れることなく子元は肯定した。
未だ二人の視線は交錯したままである。
「なら……俺の気持ちが分かるはずだ」
「そういうことではない。
そもそもお前は薙瑠とどんな関係なんだ?」
早口で問うた子元を、鴉は表情ひとつ変えずに、じっと見つめていた。
そして|徐《おもむろ》に、彼女の頭に己の頬を擦り寄せるように密着させながら、はっきりと言い放った。
「こいつは俺の、大切な人だ」
鴉の真っ直ぐな言葉に、子元の眉がぴくりと動く。
しかし、子元が何かを言うよりも早く、薙瑠が口を挟んだ。
「鴉様は、私の兄のような存在なんです」
「……兄?」
「はい、兄です」
その状況がとても安心するのか、穏やかな顔で言う彼女の言葉に、嘘偽りがないことは子元も分かっていた。
分かっていたが、彼女と鴉が密着しているその状況が納得できないらしい。
薙瑠の言葉を聞いても、子元の鴉を睨む表情が変わることはなかった。
「だとしても、だ。
いくら何でもそれは……距離感が近過ぎるんじゃないのか?」
半ば怒りを孕んだような声音で、口早に紡いだその言葉は、子元としては鴉に向けて、単に離れろと言う意味で言っただけなのだろう。
しかし、薙瑠にはそれが、自分と鴉の関係性を否定されたように聞こえたらしい。
先程までの穏やかな表情に、どこか悲しい色が混ざる。
子元がしまったと思うのとほぼ同時に、鴉は彼女の変化を敏感に感じ取り。
「それは、てめぇの主観だろうが」
今まで以上に、怒りを孕んで鋭くなった瞳が、子元を射抜く。
「第三者が、俺達の関係に口を出すんじゃねぇ」
「そう……だな。悪かった」
鴉の言う通りだと思った子元は、素直に謝罪した。
それが意外だったのか、鴉は僅かに目を丸くする。
木の葉が揺らぐ、自然の音だけの静寂。
それはとても短いものだったが、何処か気まずい雰囲気だからなのか、誰も何も言わない静かな時間が、異様に長く感じた。
そんな静寂を破ったのは。
「……お前のその気持ちは、悪いことじゃない」
鴉のそんな言葉だった。
木の幹に背を預け、眼前に広がる景色を眺めていた子元は、鴉へと視線を移す。
瞳に映ったのは、視線を落としながら、まるで宝物を触れるかのように、優しく彼女の頬を撫でる鴉の姿。
「側にいて欲しい。距離感が気に入らない。
そう思うのは、普通のことだ。その事を悪く言ってる訳じゃない」
「だったら……何なんだ?」
「……俺はただ。
こいつを苦しめるようなことを……言ってほしくないだけだ」
静かに言葉を紡ぐ鴉だが。
その言葉は、まるで。
お前の言動が、彼女を苦しめているのだ、と。
そう言っているように聞こえた。
──否、そう言っているのだという確信があった。
何故ならば、「側にいて欲しい」という本音を伝えたとき。
彼女には、動揺の色が浮かんだのだから。
「違い……ます」
子元の思考を遮ったのは、小さな彼女の声。
「私は、苦しめられているなんて……思ってません。
子元様の言葉は、とても温かくて、優しくて。
それに……縋ってしまいたいくらいです」
縋ってしまいたい。
言い換えればそれは、縋ることができない現実がそこにある、ということだ。
真実はきっと、希望を含んだ綺麗な形の宝石、ではなく。
とても|歪《いびつ》で、暗い未来を宿したもの。
今までの彼女の様子や、色んな人から聞いた話。
全てでは無いものの、現時点で見つけた沢山の真実の欠片を拾い集めても、宝石のように輝きのあるものにはなり得ない。
故に真実は、歪で暗い、綺麗とは言い難い宝石で。
そして、それは同時に、自分の役目を表しているものだと言うことに、子元は薄々勘付いていた。
──ああ、できる事なら──……
勘付いていたからこそ、言いたくなってしまったこと。
しかし、それを実際に口にするのは憚られ。
子元はふと、空を見上げる。
澄んだ空を写し込んでいる青白い瞳は、何処か虚ろで。
──できる事なら、その事実から、逃げてしまいたい──……
もう逃げることはできないと、そう言われたのにも関わらず。
今の子元には、逃げたい、逃げてしまいたいと、そんな感情が渦巻いていた。
そんなとき、耳に入ったのは。
「……逃げないで、ください」
大自然の中に心地よく響く、凛とした彼女の声。
「姫様は仰っていました。
使命を与えるは、相応しきに加え、その者が望んだが故だと。
相応しからざる者、望まざる者に使命は与えないと。
なので……子元様が、今その道に立っているのは。
|あなたが《丶丶丶丶》|望んだから《丶丶丶丶丶》こそです」
──望んだ?
木の葉を揺らす、風が吹く。
言葉にひっかかりを覚えた子元が彼女へと視線を移せば、真っ直ぐと自分を見つめる、蒼き瞳と目が合う。
その瞳は、空と同じように澄んでいて。
ある種の覚悟を含んでいるかのような、そんな強かさがあった。
しかし、子元はすぐに目を逸らした。
というのも。
自分が望んだ、という心当たりが、一切なかったから。
故に彼女の言葉を肯定することも、彼女の真っ直ぐな視線を受け入れることもできなかったのだった。
それを把握していたからなのか、薙瑠は俯き気味の子元を見ながら小さく微笑むと、鴉の足元から立ち上がり。
子元の隣へと腰を下ろした。
それも、腕が触れ合うくらい、近くに。
急な彼女の行動に、子元は驚く外なく。
半ば目を見開きながら、すぐ近くにある彼女の顔を見た。
身長差がある関係で、彼女の頭は、子元よりも僅かに下にあり。
半ば見上げるようにして微笑む彼女に、そしてその距離感に、胸が急激に締め付けられる。
「な……んだ?」
「子元様、もう一度刀に、触れてください」
「……それは、別に構わない、が、……隣に来る必要、あった……か?」
「私が隣に来たかったんです。
不安なときは、近くに人が居てくれた方が落ち着くと、聞いたことがあったので」
彼女なりの気遣い、なのだろう。
それにしても近すぎるのでは……などと思いもしたようだったが、子元は彼女の気遣いに素直に甘えることにした。
「……ところで、何故刀に触れるんだ……?」
「確証はありませんが、望んだという瞬間を思い出すかも、と思いまして。
桜の鬼の力には、記憶を司る力もありますし、その力の源となっているのは、この刀だと言っても過言ではないので」
子元は、なるほどと頷いた。
彼の頷きを確認した薙瑠は、自身の横に置いていた刀を、子元の前へと差し出す。
子元は目の前に差し出された刀へと視線を落とした。
漆で塗られた、漆黒の鞘。
|鍔《つば》付近に、茜色の|結帯《リボン》と、先端に焦げ茶の羽根がついた白い紐が括り付けられている。
もし、望んだことを思い出したら。
もう二度と──逃げることはしない。
そう決意して、刀の鞘へと手を触れた、その時、だった。
『お主は────か?』
女性の声が頭に響いた。
全てを聞き取れなかったものの、何処かで聞いたような気がする声。
しかし、それは一瞬のことで、誰の声なのか、いつ聞いたのか、思い出すには至らない。
「……子元様?」
動きを止めた子元を不思議に思ったのか、薙瑠は僅かに首を傾げている。
「何か思い出しました?」
「いや……まだ何も」
「そうですか。
では折角ですし、抜刀、してみてもいいですよ」
そんな事を言われ、子元はじっと刀を見詰めたのち。
鞘と柄をしっかりと持って、その鞘からゆっくりと、刀身を抜いていく。
徐々に顔を出す、彼女の愛刀。
全てが顕になれば、その美しさに思わず息を呑んだ。
|金烏《たいよう》の|陽光《ひかり》を反射させながら、美しく輝く桃色の刀身。
見るのは初めてではなくとも、これ程間近で見た機会はなく、子元はまじまじと刀を眺めた。
「綺麗……だな」
「ふふ、お褒めに預かり光栄です」
「こうすることができるのも……俺の特権、と言えるのか」
「そうですね。少し補足しますと、その刀は、桜の鬼と、特定の人以外は所持することすら許されない、特殊な刀です。
その特定の人には、子元様だけではなく、〈|六華將《ろっかしょう》〉も含まれるのですが……〈六華將〉の場合は、所持は許されますが、抜刀することは不可能です」
「抜刀が……できない?」
所持ができない、というのは実際にその目で見たために理解はできたが、抜刀ができない、というのは理解し難いものだった。
首を傾げる子元に、薙瑠は小さく笑う。
「鞘と|鍔《つば》がくっついて離れない、という感じを想像していただければいいかと」
「……と言われてもな」
「ふふ、信じられない気持ちもよく分かります。
この刀が抜けないという状況を見ることなんて、まずないので」
「……だが、抜刀できる俺が、如何に特殊なのか、それは理解できた、気がする」
そう言いながら、再び刀身へと視線を落とす。
この刀の美しさを、間近で堪能出来るのが自分だけだと思うと、独占しているような気分になり。
同時に、彼女自身も独占することができたら──……
なんて考えが頭を過り、これ以上眺めるのはやめようと、静かに鞘に納刀する。
|鍔《つば》と鞘が当たる小さな音を聞き届けて、子元は刀を薙瑠へと返した。
「有難うな。良い物が見れた」
「ふふ、それは良かったです」
薙瑠に刀を返すも、触れ合う腕が気になり、不自然に目を逸らしてしまい。
しかしお陰で、ある事に気付く。
「そう言えば、鴉は……」
すっかりその存在を忘れていたが、辺りに鴉の姿は何処にもなかった。
「鴉様なら、私が隣に移動してすぐに姿を消しましたよ」
「あいつ、突然現れて突然消えるな……」
「そういう人なんです、気にしないでください」
半ば呆れ気味の子元を見て、薙瑠は小さく微笑む。
「子元様、明日は早くに発ちませんか?
|呉国《ごのくに》のこともありますし」
「そうだな。お前は……また力を使って帰るのか?」
「時間は有限です。側近として、私が同行するべきではありますが、それで足を引っ張っては元も子もないですし……行きと同様に鴉様にお願いしておきます。
……帰りはしっかりと言い付けておきますので」
「お前も大変だな……」
今後の予定を簡単に立てたところで、子元はゆっくりとその場に立ち上がる。
それに続いて、薙瑠も立ち上がったのを確認し。
「戻るか」
「はい」
そんな一言を交して、悠然なる自然の景色に背を向けた。
風が、二人の髪や|華服《かふく》、そして木の葉や地の草を揺らす。
自然の中で紡がれた一時は、二人がその場を後にしたことで、終わりを告げたのだった。
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|宿 桜石《サクライシニ ヤドル》|力《チカラ》。
|操《ショジ》|所持者之《スルモノ ノ ジカン》|時間《ヲ アヤツル》 |力《チカラ》 |也《ナリ》。
|其《ソレ》 |即《スナハチ》。
|司《ジカン》 |時間《ト クウカン》|与空間《ヲ ツカサドル》、|宿《サクラ ノ》 |桜之力《チカラガ ヤドル》 |石《イシ》 |也《ナリ》。
【桜石に宿る力。
それは、持ち主の|時間《とき》の進みを操れると云う。
そう──それには、時間と空間を司る、桜の力が宿っているのだ。】
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