── 第肆章 ──
其ノ漆 ── 力在レドモ鬼ニ成レズ(7/15)
|我《ワレ》 |犯 大罪《タイザイヲ オカス》 |鬼 也《オニ ナリ》。
|汝等《ナンジラ》 |人間《ニンゲンニ》、|創《キョウフ》 |恐怖《アタフル》 |与《ソンザイ》 |存在《ツクリシ》 |鬼 也《オニナリ》。
|故《ユヘニ》、|汝等《ナンジラ》|不 当《マサニ ワレヲ》 |信仰 我《シンコウ スベカラズ》。
|当《マサニ》 |憎《ワレヲ》 |我《ニクムベシ》。
|青鬼《アオキオニ》、|隠《ソノ》 |其《オモイヲ》 |想《カクシテ》 而 |接《ニンゲンニ》 |人間《セッス》。
|其 即《ソレ スナハチ》、|継続《シンコウヲ》 |信仰《ケイゾク サセン》 |為《ガタメ》 |也《ナリ》。
【私は、大罪を犯した鬼。
人間に恐怖を与えるであろう存在を、創り出してしまった鬼。
故に本来は、信仰されるべきではなく。
憎まれるべき存在なのだ、と。
そんな思いを隠しながら、人々と触れ合った、青き鬼。
──全ては、人々の信仰心を薄れさせないがために。】
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この世の中には、不思議な信仰がある。
|鬼神信仰《きしんしんこう》──鬼神を守護神として信仰すれば、邪鬼や妖怪などの魔除けになるとされているものだ。
故に、鬼神を信仰する村には、出入り口となる場所に|蘇塗《そと》が建てられていたりする。
蘇塗とは|鳥杵《とりざお》とも言われ、太めの木の棒の先端に、木製の鳥のような生き物をつけて建てれられているもののこと。
その蘇塗には、木の棒の部分に|蔓《つる》で作られた|籠目《かごめ》がひとつ、括り付けられていた。
上向きと下向き、二つの三角形を合わせた形をしている、籠目──別名、鬼の目。
そんな蘇塗を建てることで、村を守る守護神として、鬼神を信仰しているのである。
そしてとある村には、鬼が姿を表したことがあるという、逸話とも言うべき話があった。
その鬼は、青くて長い髪を後ろでひとつに結い、水色の衣装を身に纏っていたという。
そして特徴的だったのは、額から伸びる角。
初めて鬼という存在を目にした村人たちは、その見た目の美しさに、目を奪われたのだった。
そんな村人たちの様子が、自分を恐れているように見えた青き鬼は、|云《い》ったのだった。
信仰してくれて有り難う、と。
その一言が、とても柔らかくて。
とても穏やかで。
村人たちは、青き鬼を警戒することなく受け入れたのだった。
その鬼は数日の間、村に留まった。
そして人々に、鬼という存在の特徴を教えた。
額に角がある鬼の姿と、角がない人間の姿。
二つの姿を持つこと。
妖術という不思議な術を扱えること。
それらを実際にやって見せながら、鬼という存在についてを説いたのだった。
それだけではなく、村の人々の仕事を手伝い、人と快く接したという。
これがその村に伝わる、鬼に纏わる逸話だった。
そんな村で、一人の少年が生まれた。
信仰されている、鬼として。
しかし、人間には鬼であるかどうかを瞬時に見抜くことはできない。
見抜く方法は、先の逸話として伝えられている、
角のある姿になれること、
妖術という不思議な術を扱えること、
この二点を確認するしかない。
生まれた時点で、額に角の存在は確認できなかった。
だからこそ、その少年が鬼だと思う者は誰一人いなかった。
少年自身も、自分が鬼なのではないかと感じるようになったのは、異様な身体能力を発揮したときだった。
それは、彼が|十《とお》になり、鬼として生まれたと言われている、曹操という人物が活躍し始めた頃のこと。
ある日の夕暮れ|刻《どき》、村が賊に襲われた。
少年は、目の前で両親が殺され。
頭が真っ白になって、その場から動くことができなかった。
しかし。
──殺してやる。
そんな殺意が湧き上がり、少年は涙を流しながらも、射るように賊を睨み付けた。
そして咄嗟に、近くにあった薪割り用の斧を手にした。
その時、だった。
子供では持ち上げるので精一杯の重さの斧を。
彼は軽々と、振り回せたのだ。
──いける。
──|殺《や》られる前に、|殺《や》れ!
それからは、あっという間の出来事だった。
賊の人数が少なかったことが幸いしたのかもしれないが、襲ってきた賊を、一人残らず殺したのだ。
|十《とお》の子供が、たった一人で。
その時初めて、少年は己が普通ではないと感じたのだろう。
片手で斧を提げながら、空いている己の掌を見つめていた。
血塗られた小さな手。
一見は普通の人間の手だが。
内には別の何かが眠るような、そんな感覚を覚えていたらしい。
そしてそれが、曹操と同じ〝鬼〟というものなのではないかと感じていた。
この村には鬼神信仰があるが故に、曹操が鬼であるという話が伝わってきたときには、皆褒めていたのだ。
鬼神に選ばれた、素晴らしいお方なのだと。
そして少年自身も、憧れていたのだ。
曹操に会ってみたい、自分も鬼のように強くなりたいと。
だからこそ、鬼のように強い力を持っていたことが素直に嬉しくて。
そして自分も褒めてもらえると、そう思っていた。
しかし、それも束の間のことだった。
返り血に|塗《まみ》れた少年の姿を見て、村人が紡いだ言葉は。
「ば……化け物……!!」
容赦のない、心を抉る言葉だった。
少年のお陰で、命が助かったというのにも関わらず、だ。
彼はどれ程傷付いたことだろう。
どれ程失望したことだろう。
それによって、両親が殺されたことに対する心の痛みまで、一緒になって溢れ出し。
自分の異常な力に対しても、恐怖を覚え。
少年は、その場に泣き崩れた。
赤紫色に染まる空の下。
鮮血の華が咲く、村の中心で。
少年の頬を伝う、透明度のある雫だけが、残酷なほど美しく、輝いていた。
その翌日。
少年は目を覚した。
薄暗い、家屋の中。
両親と暮らしていた家屋の中で、彼は眠っていたらしい。
上体を起こせば、出入り口の戸の僅かな隙間から、眩しいくらいの明るい光が、少年に向かって一筋の道を作り出していた。
泣き崩れたあと、自分がいつここに戻ったのか、彼はさっぱり覚えていなかった。
ぼうっとする頭が徐々に覚醒し、昨日の出来事を思い出したのだろう。
両親がいないという現実に。
化け物だと言われた現実に。
再び涙が溢れるかと、そう思ったが。
彼は泣かなかった。
──否。
泣けなかった。
気持ちは不思議と落ち着いていて。
むしろ何の感情も感じられなくて。
しかし、少年の中には、ある強い意志が生まれていた。
誰にも頼ることなく──たった一人で生きてやる。
そして同時に。
鬼であることを証明して──化け物だと言った奴らを、見返してやる。
そんな強い意志が生まれていた。
少年は家屋を出て、村の出入り口付近にある、蘇塗へと向かった。
その前で足を止め、手を合わせて願った。
曹操のように、強い鬼で在りたいと。
そんな少年の瞳には、憧れという名の|希望《ひかり》が灯っていた。
しかし、それから十年という月日を経て、二十になっても。
青年とも言うべき姿に成長した彼の身に、変化は起きなかった。
村に伝わる逸話によれば、鬼とは角がある鬼の姿というものになることができ。
妖術という、不思議な術を扱うことができるという。
それらがどちらも。
青年にはできなかった。
故に、周囲の大人からは、
「角のある姿にならないから」
「妖術を扱うところを見たことがないから」
「だから鬼じゃない」
「人間の姿をした、別の何かなんだ」と。
容赦の無い言葉を浴びせられた。
鬼だと証明できたら。
鬼神信仰をしている彼らの、自分に対する考え方を、変えられるかもしれないのに。
化け物だと言った彼らを、見返すことができるのに。
なのに──できない。
──|何故《なぜ》、姿が変化しないのか。
──何故、術が扱えないのか。
──何故、鬼だと認めてもらえないのか。
何故。
なぜ。
何故、なぜ、何故。
そんな答えのない自問自答を、嫌というほど繰り返した。
繰り返したからこそ。
彼はひとつの答えに辿り着いた。
辿り着いてしまった。
自分は鬼ではない。
曹操と同じ、鬼として在ることは叶わないのだと。
そう感じたのと同時に、十年前、鬼に憧れていた自分が、|蘇塗《そと》に願った自分が、酷く馬鹿馬鹿しくなった。
鬼神という存在にすら、嫌気が差した。
その時だろうか。
少年にもあったはずの鬼神に対する|希望《ひかり》が、綺麗に消えてなくなったのは。
|希望《ひかり》を失った青年は、行動するのが早かった。
それは、風が強く、雨も降り注ぐ嵐の如き夜だった。
彼は家屋を出て、村の出入り口付近にある蘇塗へと向かった。
その前で足を止め、風雨の中、大きくしなるそれを見上げる。
こんな意味のわからない力など、なければ良かったと。
鬼に憧れたり、しなければ良かったと。
憎しみにも似た、感情を込めて。
己の異様な身体能力を以て、|蘇塗《そと》を蹴り倒したのだった。
そんな青年の瞳には、灯火の欠片もない、|絶望《かげ》が落とされていた。
その行為は、己の想いを、願いを、意思を、憧れを。
全てを切り捨てることに他ならなかった。
誰の視線もない、嵐の夜。
唸る風の音を聞きながら、雨に強く打たれながら、彼は初めて、自分の気持ちを口にした。
「鬼神信仰なんて、なければ良かったんだよ。そんな信仰があったから……俺みたいなのが生まれたんだろ」
次々と溢れ出る思いを、言葉という形にしていく。
悔しい。苦しい。
──助けて、ほしい。
「なぁ、鬼ってなんだよ。一体何なんだよ……お前ら〝鬼神〟って一体どんな存在なんだよ……っ!?
この村に鬼が現れたなんて……そんな話も、ただの作り話だったってことだろ。
そうじゃなきゃ……俺はこんな酷い目に合ってないはずだ……」
そこで漸く、溢れる言葉が終わりを告げた。
青年は早足で自分の家屋へと戻り、勢い良く戸を閉めれば、背を預けるようにしてその場に座り込んだ。
初めて本音を口にしたからだろうか。
そんな青年の頬には、あの日と同じ、透明度の高い涙が伝っていた。
*
*
*
(……嫌な夢を見た)
片腕を額に乗せながら、|茱絶《じゅぜつ》は薄っすらと目を開ける。
瞳に映るのは、いつも見ていた薄汚れた家屋の天井ではなく、馴染みのない綺麗な天井。
(そう言えば俺は今……捕虜だったな……)
しかし不思議なのは、捕虜であるにも関わらず、牢のような場所ではなく、普通に人一人が生活するような、しっかりとした部屋にいることだ。
彼を捕らえたのは紛れもなく曹操であり、その曹操がこの部屋で過ごせと、そう言ったのだった。
いや、捕らわれた直後は、牢のような場所で目が覚めたが、曹操との話が終わると、この部屋に案内されたのである。
力を使えない鬼は、牢に入れるまでもないということなのか。
(あんな夢を見たのは……曹操に洗いざらい話したからか……?)
──ああ、気分が悪い。
最悪な気分になったらしい茱絶は、上体を起こすことなく、そのまま横を向く。
寝台が接している壁には朱色の窓枠があり、そこからは、幾何学な模様越しに青い空が見えた。
寝台の上で横になっている茱絶は、その窓から入り込む冷たい空気を感じながら、己の心とは対照的に、明るく晴れ晴れとした空を睨みつけていた。
──同じだ。
あの夢には、まだ続きがある。
その先に描かれる、あの時も。
今見ている空と同じ、皮肉なほど明るい空だった。
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