華鬼灯 -ハナホオズキ-

── 第肆章 ──
其ノ玖 ── 籠目ニ宿リシ青キ鬼(9/15)

 |青鬼《アオキオニ》、|宿《オノレノ》 |己之御霊《ミタマヲ カゴメへ》 |籠目《ヤドラス》。
 |借《ソノ》 |其《ムラノ》 |村《シンコウ》 |信仰之力《ノ チカラヲ》 |而《カリテ》、
 |以《オノレノ》 |己 存在《ソンザイヲ モッテ》、|償《ツミヲ》 |罪《ツグナフ》 |為《ガ タメ》。

 |其鬼之《ソノ オニノ》 |御霊《ミタマ》 |宿《ヤドリシ》 |魄《ハク》、
 |忽《タチマチ》 |変化《リュウシニ》 |粒子 而《ヘンカシテ》 |消失《ショウシツス》。

【その村の信仰の力を借り。
 後に、自分の存在を以て、罪を償うが為。
 青き鬼は、己の御霊を、蘇塗の籠目へと宿らせた。

 同時に、これまでその御霊を宿していた人間の|魄《からだ》は、すぐに粒子へと変化して。
 その場からは、跡形もなく消えたのだった。】

─────────────── 

 |曹操《そうそう》直々の案内のもと、|子元《しげん》と薙瑠《ちる》は、とある部屋を訪れていた。

「入るぞ」

 返事を待たずに戸を開ければ、曹操はお構いなしにすたすたと部屋に入っていく。
 彼の後ろをついて歩いていた二人は、部屋の前で立ち止まって中の様子を伺う。
 曹操の姿に隠れて見えないが、その向こうに居るのだろう。

 彼──|茱絶《じゅぜつ》が。

「連れてきた。お前が、会いたがっていた人物を」
「……どうも」
「お前の処遇は全てそいつに任せた。この俺が決めたことだ、文句は受け付けぬ」
「……はい」

 そんな会話を交わしたあと、曹操がこちらを振り返る。
 その瞬間、対面の時が訪れた。

 黒髪黒目の、咲かずの〈華〉を持つ鬼──茱絶と。
 幼少期に関わりを持った、薙瑠が。

 目があった刹那、薙瑠の顔には、僅かに怯えたような表情が浮かぶ。
 その横顔を見ていた子元は、そっと。
 彼女の背に手を添えた。

「大丈夫だ」

 彼女にだけ、聞こえるくらいの、小さな声で。

「俺が……側にいる」

 その声は、しっかりと彼女に届いたようだった。
 薙瑠は小さく深呼吸をすると、先程とは一転、真っ直ぐな瞳で茱絶を見据える。

「後は全て任せる、桜薙瑠。
 何かあったらいつでも呼べ」
「はい。お気遣い、感謝いたします」

 部屋を出て、廊下を悠然と去っていく曹操の後ろ姿に、薙瑠と子元は丁寧に拱手する。
 暫くその後ろ姿を見つめ続けている薙瑠に対し、子元は先に部屋に足を踏み入れた。
 その方が、彼女が安心できるだろうと思ったのだ。

「……薙瑠」

 入室を促すように名を呼べば。

「はい、大丈夫です」

 いつも通りの、柔らかい微笑みが浮かぶ。
 少しは心の余裕ができたらしいことに、子元も安堵したようで、自然と笑みが浮かんだ。
 薙瑠は部屋へ足を踏み入れると、その歩を止めることなく、寝台の上に座る茱絶の目の前まで進み出る。
 その背後では、子元が静かに戸を閉める音。

「……お久しぶり……ですね」

 静寂の中、よく聞こえる彼女の声。
 その声は、落ち着きのある、聞き心地のいい声だった。

 目の前に座る茱絶は、何も答えることなく、ただじっと、薙瑠の姿を見上げている。
 その黒い瞳に、映る自分の今の姿。
 彼は何を思いながら見ているのか、瞳からは何の感情も伝わってこなくて。
 薙瑠はただ、彼から発せられる言葉を待つことしかできなかった。

 異様な沈黙が流れる中。
 薙瑠を捉えていた茱絶の視線は、突如として彼女の背後、子元へと移された。

「……あの時の……子供か?」

 低くて冷たい声。
 その声が紡ぐ「あの時」は、間違いなく。

「そうです。あの時……村を訪れた|仲達《ちゅうたつ》様と共にいた方です」
「……司馬子元、と言う」

 薙瑠の言葉に続いて、子元は名を名乗るだけの自己紹介をする。
 が、茱絶からは相変わらず、なんの返答もなかった。

「茱絶……様」
「……は」

 薙瑠が名を呼んだとき、茱絶は初めて表情を変えた。
 怪訝そうに顔を歪ませて。

「馬鹿にしてんのか」

 そう言い放った。
 薙瑠はびくりと肩を揺らし、黙り込む。
 その瞬間から、彼の態度は一変した。
 彼女の僅かな油断を、狙ったかのように。

「お前は、幸運だったよな。
 力を授けられて。
 俺に刺されても生きてて。
 鬼として国に仕えて。
 幸運だったよなぁ」
「……それは」
「鬼になれない理由も……教えてあげられる? そんなもの聞いたところで、過去は変わらないだろ」
「……」
「時間を戻せるんだってな。だったらその力で……」
「──戻します」

 薙瑠も負けてはいなかった。
 彼の変化には驚いたものの、それに怯えるようなことはなかった。
 それはきっと、彼女の後ろに。
 見守ってくれている人が居るからだ。

「あなたの〈華〉の|時間《とき》を戻せば。
 あなたは今からでも、鬼として活躍できます」

 茱絶の視線から逃れることなく、その目を真っ直ぐと見て、はっきりと。

「あなたが望むなら。
 私はそれに応えます。
 〈華〉の|時間《とき》を、戻します」

 強かに紡がれた言葉に、呆然としていた茱絶の瞳が、僅かに揺らぐ。
 鬼として、活躍できる。
 それはきっと、彼にとっては願ってもないことだろう。
 しかし、その願いを|疾《と》うの昔に捨てていた彼にとって、彼女の今の言葉は、苦しみを生むものでしかなかった。
 辛そうな顔をして、茱絶は俯く。

「もう……やめてくれ」

 たった一言、絞り出すように紡がれた言葉からは。

 ──これ以上、俺を苦しめないでくれ、と。

 そんな風に言っているようにも聞こえた。
 彼の言葉を聞いた薙瑠は。
 静かに、而してらしくないほど、拳を強く握りしめていた。
 その顔も、眉根を寄せて、とても苦しそうな表情をしていて。

「私だって……私だって、あなたを苦しめたくて苦しめた訳じゃない」

 らしくない口調に、いや、昔の口調に戻った彼女の言葉に、茱絶は鬱陶しそうに顔を上げる。

「……なんだよ」
「私は生まれつき、他人には視えないものが視えていた」

 話しながら、彼女は徐ろに、懐に忍ばせていた護身用の短剣を取り出した。
 それは彼女が、常に携帯するもう一つの武器。
 唐突な彼女の行動に、茱絶は目を丸くして息を呑む。

「そしてあるとき。
 望んだ訳じゃないのに、力を授かってしまった」

 静かに抜剣して、|鞘《さや》をその場に放った。
 鞘が滑る、乾いた音。
 そして左腕の|華服《かふく》を、肘まで捲り上げれば。
 顕になるは、彼女の白い肌。
 それを苦しそうに、睨みつけながら。

「全ては……この、体質のせいで」

 右手に持つ短剣の先端を、肌に突き立てて。
 己の左腕に、ゆっくりと一筋の傷をつけた。
 傷口からは赤い雫が流れ|出《い》で。
 白い肌を静かに伝っていく。

 徐ろに自身の身体を傷つけた彼女の行動に、茱絶は言葉を失っていた。
 それは、背後で様子を見ていた子元も同じだった。
 静かながらも、自分の感情を顕にしている彼女。
 初めて見る、彼女の姿だった。

 痛みで眉根を寄せながらも、薙瑠は|微笑《わら》っていた。
 光の無い、深淵を含んだ瞳で、茱絶を映しながら。

「……ほら、これ。
 あなたも見覚えがあるでしょう」

 茱絶の前に、切り裂いた腕を差し出す。
 もちろん、腕からは血が滴ったているだけだったが。

「……は、何のこと──……」

 そう茱絶が口を動かした刹那のことだった。
 彼女の腕の、傷口から。
 植物の芽が、ゆらりと顔を出す。
 それも、ひとつではなく、複数。

「病でも何でもない。
 |御霊《みたま》……霊なるものが憑きやすい体質だった。
 この植物も、その体質だったからこそ、宿ったもののひとつで。
 本来視えない存在が視えてしまうのも、その体質を持っていたが故のもの。
 私はただの人間で、あなたが恐れるような力なんて、少し足りとも持ち合わせていなかった」
「なら……あの膨大な力はなん──」
「私の|魄《からだ》に鬼の御霊が宿ったから。ただそれだけ」

 茱絶の言葉を遮って、彼女は淡々と言葉を続けていく。

「あの|蘇塗《そと》……蘇塗に括られていた籠目には、鬼の御霊が宿っていた。
 青い髪を持つ、鬼の御霊が。
 何も知らずに、それに触れてしまったから……この|魄《からだ》の中に、鬼の御霊が入り込んでしまった。
 その鬼は、植物を操る力があったみたいだから……この伸びる植物は、その力の影響を受けたただけ。
 でも、自分の中に鬼がいても、私自身は鬼じゃないから、力なんか使えない。
 だから……私は一切、あなたにも、村の人々にも、病をうつしたり、危害を加えたりするような存在じゃなかった。
 でも、当時の私は、そんなことを知り得るはずがなかった。
 あなたを含めた村の人々も。
 知り得るはずがなかった。
 だから……責めることなんて、できない。
 ……でも」

 半ば早口で紡いでいた言葉を、一度止めた薙瑠は。
 ひと呼吸すると、どこか泣きそうな顔で。
 そして酷く、辛そうな声で。

「でも……できること、なら。
 危害を加えていない限りは。
 自分とは違う体質を持つ存在を、受け入れるってことくらい……してほしかった」

 茱絶の瞳が、わずかに見開かれた。

 ──自分とは、違う体質を持つ存在を。
 受け入れるってことくらい、してほしかった。

 ──|危害を《丶丶丶》|加えて《丶丶丶》|いない《丶丶丶》|限りは《丶丶丶》。

 同じだ、と思った。
 自分も、目の前にいる彼女も。
 求めていたことは、同じだったのだと。
 彼女の言葉は、茱絶の中で何度も反復されて。
 同時に、ある言葉を思い出していた。

 ──わたしは、おにいさんのこと……こわくないよ。

 暴力を振るうようになる前。
 共に過ごすようになって少しした頃、少女が、|蒼燕《あおつばめ》が、今目の前にいる彼女が、言った言葉。
 それは、当時の彼にとっては、力があるからこその、自身を見下したような発言にしか聞こえなくて。
 その言葉をきっかけに、暴力を振るうようになったのだった。

「ああ……そうか」

 あれは本当に、怖くなかったのだと。
 自分を受け入れてくれていたのだと。
 暴力を振るい始めた頃、虚ろな瞳で見るようになったのは、哀れだと思われていたのではなく。
 受け入れるという姿勢を、暴力で返されたことへの失望だったのだと、今になって気付く。

 幼くて、歳が離れている少女であっても。
 彼女は唯一、自分を受け入れてくれた存在だったということに。
 そのことに気付いていれば、自分たちは。

 ──もっと違う、関係を築けていたはずだ。

「自分が鬼かどうかなんて……どうでもよかった」

 ふと、茱絶がそんな言葉を漏らした。
 寝台に腰掛けている彼は、俯き、前かがみに手を組みながら、ゆっくりと。
 自身の思いの丈を紡いでいく。

「|村人《あいつら》との関係も……どうでもよかった。
 お前が現れたときには、もうそのどちらもどうでもよかったんだ。
 ……そのはず、だったんだけどな」

 彼の声はか細くて、今にも消えてしまいそうで。
 纏う空気も、徐々に穏やかになっているようで。
 静かに耳を傾けながら、今までの茱絶からは感じられなかったものを、薙瑠は敏感に感じ取っていた。

「お前の……力を授かったお前の、あの言葉が。
 怖くないという言葉が、信じられなかった。
 受け入れられなかった。
 あの夜、お前の強大な力を感じ取って。
 感じ取っていたからこそ、その力の強大さに、恐れて、嫉妬して。
 そんな感情が芽生えてきた頃……怖くない、なんて言われて。
 力のない俺を、嘲笑っているようにしか感じなかった」

 そこで漸く、茱絶は顔を上げた。
 彼の顔には、悲しみが混じった、小さな笑みが浮かんでいて。
 初めて見た、彼の柔らかい|表情《かお》だった。

「なぁ……|蒼燕《あおつばめ》」

 その顔で見つめながら呼ばれた名は、昔のように棘のある呼び方ではなく。
 優しく触れるような、安心感のある呼び方だった。
 だからだろう。
 薙瑠にも自然と、小さく微笑む。
 彼の前で初めて見せた、優しい|表情《かお》だった。

「……はい」
「いや……今は薙瑠……だったか」
「……はい、どちらでもいいですよ」
「薙瑠、にしとく」
「ふふ、そうですか」
「……薙瑠」
「はい」

 茱絶は僅かに間を開けると、真っ直ぐと彼女の目を見て。

「最初で最後の……俺の頼みを聞いてほしい」

 そんなことを言ったのだった。
 薙瑠は僅かに驚いたものの、直ぐに笑みを浮かべ。

「はい、喜んで」

 快く承諾した。
 薙瑠にはもう、茱絶に対する警戒心など、欠片も残っていなかった。
 そんな彼女に安心したのか、茱絶もまた、柔らかく笑う。

 自分とは違う、差異ある体質を持つ存在。
 それは、人間と鬼の違いだったり。
 御霊を宿しやすい人間だったり。
 力を使えない鬼だったり。
 いろんなことに当てはまる差異。
 それが恐ろしいと感じるのは、その実態を知らないが故だろう。

 しかし、それらと向き合い、対話することさえ、できれば。

 今までとは明らかに違う、穏やかな雰囲気を纏う二人を見ながら、子元もつられるように小さく微笑んでいた。

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